礼拝、説教    次週の礼拝是非お出掛け下さい。

 

                                                    礼   拝

 

礼拝は、神と人との交わりの場、出会いの時です。み言と聖餐を通してキリストを受け、祈り、讃美、信仰告白、献金などを通して、みずからを神に献げます。私達の信仰と生活の原点がここにあります。

次週の礼拝
             聖霊降臨節 第9主日礼拝(講壇交換)

               

  

    2017・7・30(午前10時15分~11時30分)

 (*支障のない方はお立ち下さい)
招き                前奏
                * 招詞     詩編52編10節~11節

                * 頌栄           541番

                * 主の祈り   (讃美歌564)

悔改め         * 讃美歌    499番          

      * 交読文      34 詩編130編

神の言           旧約聖書   エゼキエル書37章9節
            新約聖書     ヨハネによる福音書3章1節~15節

                     祈祷
                 * 讃美歌       268番              

説教              「新たに生まれなければ」   小河信一牧師    

                     祈祷           
                 * 讃美歌     224番

                 * 使徒信条

感謝・献身        献金
                     報告
                 * 讃詠        545番
祝福・派遣        祝祷
                     後奏

 

 

説  教(礼拝)

「信仰を継がせようとする父」
創世記24章1節~27節
ヘブライ人の手紙11章13節~16節
20170723説教.MP3
MP3 オーディオファイル 34.9 MB
「しんがりを守るのも神」  茅ヶ崎教会櫻井重宣牧師
イザヤ書52章11節~12節
ヨハネの手紙三9節から2節
20170716説教.MP3
MP3 オーディオファイル 38.2 MB
「神は信じる者を救われる」
ローマの信徒への手紙10章9節~10節
創世記15章4節~6節
20170709説教.MP3
MP3 オーディオファイル 41.7 MB
「熱意のうちにある罪深さ」
ヨハネによる福音書2章13節~25節
詩編69編10節
20170702説教.MP3
MP3 オーディオファイル 34.2 MB

説  教 (月報より)

  

 

7説教

不思議な業としるし

                                     使徒行録 17節~43節          小河信一 牧師

 

本日は、2017年度伝道方針「教会創立40周年を節目とし、あらためてこの地で伝道する」に関わる第一回目の説教を行います。第二回目は、9月に予定しています。聖書の中に出てくる「40年」という用語に注目し、ご一緒にそれに含まれる使信に耳を傾けましょう。

 

月日の区切りについて、聖書には40年という期間が案外多く出てきます。本日の新約・使徒言行録7:17-43にも4回、40歳または40年の節目が取り上げられています(7:23,30,36,42)。

 

旧約の歴史では、きっかり40年ではありませんが、南ユダ王国が滅び、バビロンへと捕囚となった後、およそ50年して、ペルシア王キュロスにより解放されたという大惨事・苦難が思い起こされます。それから、ユダヤ民族が荒れ野を40年間さまよい、その後、ヨルダン川を越えカナンへ入って行った(ヨシュア記3章)という出エジプトの苦難と栄光の歴史があります。荒れ野で罪を犯し、神に不平を言った成人は、カレブとヨシュア以外、カナンに入ることが、神により禁じられました(民数記14:3020:12)。つまり、40年の間に現役の世代が滅び、そして次の世代、新しい世代が「乳と蜜の流れる地」(民数記13:27)での共同体の形成を担ったのです。

 

ちなみに、40ということであれば、荒れ野で主イエスが「40日間」断食し、悪魔から誘惑を受けられたという出来事(マタイ4:1-11)が想起されます。

 

ステファノの説教に入る前に、まず、モーセの寿命、つまり、神のよるモーセの人生設計を見てみましょう。

 

申命記34:7――

 

モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。 参照:創世記6:3

 

モーセの寿命が120年であったということを受けて、ステファノはモーセの人生を三分割しています。すなわち、0歳~40歳~80歳~120歳というように、40年間を節目としています。そしてそこに、モーセの人生の中にあらわされた神の計画と実行を跡づけています。そのように、イスラエルの偉大な指導者の生涯が信仰的に捉えられている中でも、80歳⇒120歳の期間の出来事に焦点が合わされています(使徒7:30-44)。その期間が出エジプト後の、いわゆる荒れ野放浪の時代に該当します。モーセは、0歳⇒40歳⇒80歳という二期40年の人生行路を踏み越えたうえで、主の御力により荒れ野40年の旅路を成し遂げたのです。

 

今から39年前、197842日、茅ヶ崎香川伝道所・開設式が行われました。その時を教会「創立」の起点としています。

 

霊と知恵、恵みと力(使徒6:3,8)に満ちているステファノは信仰をもって、荒れ野40年の旅路を受け止めました。荒れ野の40年と茅ヶ崎香川教会の40年とが厳密にどのように重なるものなのか、私は完全には知り得ません。ただしかし、私たちの教会が創立40周年を迎えようとしている今、40(きざ)みのモーセの人生に何が起こったか、知ることは、聖書の重大な出来事と御言葉に耳を傾けることであり、大切なことです。

 

民数記14:33-34――

 

33 お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。34 あの土地を偵察(ていさつ)した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わねばならない。お前たちは、わたしに抵抗するとどうなるかを知るであろう。

 

イスラエルの民がいまだ荒れ野を放浪している時に、やがて侵入するカナンの土地を偵察すべく12人(12部族の代表)を遣わしました(民数記13:1-3)。

 

40日の後、偵察から帰って来た者たちは、モーセはじめイスラエルの人々に報告・説明しました。その際、端的に言えば、神の御心に添って語った者とそうでなかった者とに二分されました。

 

ヨシュア(エフライム族)とカレブ(ユダ族)以外の10名は、ある意味では事実に即した報告をしました。先住民は巨人で、我々よりも強い、町々は城壁に囲まれて堅固である、()まるところ、敵意や憎悪が渦巻いている土地であると説明したのです(民数記13:28,31-33)。それに反して、ヨシュアとカレブは、主があの土地に導き入れ、あの土地を与えてくださる、「断然上って行くべきです。必ず勝てます」と、モーセに向かって進言しました(民数記13:3014:8)。二人は現実を見据えつつも、主の計画に基づいて行うという信仰的姿勢をとりました。

 

10名の偵察員は、自分の目で見たこと、自分で考えたことを第一にして、神がここで何を行おうとされているか、に心を寄せることはありませんでした。神はこのことを怒り、「お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う」と宣告されたのです。

 

私たちもまた、この世の現実のただ中に生きています。さまざまな判断を迫られながら、また誘惑にさらされながら歩んでいます。しかし、このカナンの偵察物語から、私たちは信仰を基盤として進路を定め、神に祈って前進していくことを教えられます。「お前たちは、わたし(主)に抵抗するとどうなるかを知るであろう」と断言されているように、神の御心に逆らうことが大きな罪なのです。顧みれば、モーセの80歳⇒120歳という40年間は、このような神への反逆、部族の対立、そして彼自身に対する不平不満(民数記14:36)などを乗り越えて、満たされていったのです。

 

それでは、ステファノの説教、すなわち、彼が大祭司や律法学者などから迫害を受ける中で語った説教を読みましょう。モーセの0歳⇒40歳、その40年の初めに、どんなことがあったのでしょうか。

 

使徒言行録7:17-21――

 

17 神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。18 それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。19 この王は、わたしたちの同胞を(あざむ)き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。

 

20 このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、21 その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。

 

イスラエルの民を(しいた)げる「別の王」の登場ならびに乳飲み子殺害の布告という最悪とも言える状況の中に、モーセは誕生しました。奇跡的にナイル川の流れに呑み込まれることもなく、王の目をかいくぐって王宮で育てられました。このモーセ誕生の経緯からも、神の計画として、いつ40年という初めの基点が(おこ)されるのか、人知では計り得ないことが分かります。

 

使徒言行録7:23――

 

四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。

 

「四十歳になったとき」の直訳は、「四十年という時間が彼に満たされたとき」です。時が満ちて、王宮で育てられたモーセが公の場に現れ出たのです。

 

その時の出来事(使徒7:23-29)を要約して言えば――

 

初めの日、モーセはエジプト人によって同胞イスラエル人の一人が酷使されているのを目撃して、モーセはそのエジプト人を打ち殺しました。次の日、イスラエル人が互いに争っている現場に、モーセがやって来ました。そして、二人を仲直りさせようとしたところ、その内の一人からモーセは突き飛ばされてしまいました。そして、「きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか」と反発を受けたモーセは、荒れ野へ逃げて行きました。

 

40歳の初めの時、そこで、モーセは何を思ったでしょうか?

 

苦難の中から人を助け出す困難さ、あるいは、敵(エジプト人)をも愛をもって接する大切さでしょうか。あるいは、「モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした」(使徒7:25)という説教者・ステファノの言葉に(にじ)み出ている、救いの神への人間の無理解でしょうか。仲違いしている二人のイスラエル人は、「殺人者」モーセにまなざしを向けるばかりで、そこに神の御手が働いていることを認めようとしなかったのです。

 

モーセの40歳⇒80歳という40年の初めは、0歳⇒40歳の初めとは対照的に、神と人間との間、また人間と人間との間の横たわる難題が開示されました。それはまた、十戒の第六戒「殺してはならない」を犯してしまったモーセの再出発の時でありました。モーセはミディアンの荒れ野に逃れ、そこで遊牧の民の娘と出会って結婚しました(出エジプト記2:21)。見方を変えれば、ミディアンの荒れ野の生活40年は、やがて来たるシナイ半島を巡る荒れ野の40年への前備えとなったと言えましょうか。

 

使徒言行録7:30――

 

四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。

 

使徒7:23と同様に、「四十年たったとき」の直訳は、「四十年が満たされたとき」です。モーセはイスラエル人から、つまり、イスラエルの礼拝共同体から離れた生活を送っていました。彼には、孤独と忍耐の時であったでありましょう。そこに、突然、転機が訪れました。

 

モーセが80歳の時に経験したことは、彼の誕生時、0歳の時に起こった出来事以上に大きなことでした。なぜなら、モーセがこれから40年間生きていく上での信仰の基が据えられたからです。

 

使徒言行録7:32――

 

(主の声が聞こえました)『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。

 

出エジプト記3:14――

 

神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

 

「四十年が満たされたとき」、神はモーセを御前に召し出されました。

 

主なる神は、生活困難な荒れ野、そこに住む乏しく貧しいモーセの前に現れたのです。神の本質あるいは尊い御名が、「わたしはアブラハム、イサク、ヤコブの神である」または「わたしはあるという者だ」というように、言葉によって啓示されました。こうして、同胞からは「ならず者」や「脱落者」などと見下されているやも知れないモーセでしたが、彼は聖なる神の臨在と御言葉に(きよ)められて、エジプトに戻って行きました。

 

使徒言行録7:35――

 

人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って(こば)んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。

 

人々は、「指導者や裁判官」としてのモーセの資質に疑問を投げかけました。しかし、大切なのは、モーセの資質ではなく、神がモーセを何者として遣わすのか、ということです。神は、人々の思いも寄らなかった使命、すなわち、「解放者」としての使命をモーセに託されました。神の御心は、人々の思いを超えて、先に進んでいました。実際に神は、モーセが、苦難の地・エジプトからイスラエルの民を解放するよう、彼を支えられました。

 

使徒言行録7:36――

 

この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。

 

ヨハネ福音書2章には、主イエスのなさった「最初のしるし」(2:11)が記されています。カナでの婚礼の際、主イエスは水を用いて良いぶどう酒をととのえるという奇跡を起こされました。その「最初のしるし」やモーセが行ったという「不思議な業としるし」は、主イエス・キリストの十字架と復活そのものではありません。しかし、神は、モーセなどの預言者を通し、さまざまな「不思議な業としるし」を私たちに示しながら、主の十字架と復活を信じる信仰へと導こうとされています。

 

時が満ち、80歳のモーセに、圧倒的な神啓示がありました。さて、その後、どうなったのでしょうか? モーセはエジプトに旅立って行きましたが……

 

モーセの80歳⇒120歳、それはそのまま、出エジプトからの荒れ野の40年に該当します。順境もあり逆境もありましたが、概観すれば、終わりに近づけば近づくほど、順境よりも逆境の方が増していったように見えます。

 

その間の事情が、「けれども、先祖たちはこの人(モーセ)に従おうとせず、彼を退(しりぞ)け……」(使徒7:39-43)に描き出されています。容易に、とりなし手であるモーセの苦悩や絶望が想像されます。

 

しかし、モーセは一人ではありませんでした。前途に光が見えない中で、ヨシュアとカレブは、「乳と蜜の流れる地」へ入るという主の計画を確信していました。モーセは、イスラエルの民の罪と自らの死の現実を背負いながらも、神と共に若い世代が歩みゆく将来に、身をゆだねたのです。

 

使徒言行録7:42――

 

「そこで神は顔を(そむ)け、彼らが天の星を(おが)ままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。

 

『イスラエルの家よ、

 

お前たちは荒れ野にいた四十年の間、

 

わたしにいけにえと供え物を

 

献げたことがあったか。』」

 

上の中の「そこで神は顔を(そむ)け、彼らが天の星を(おが)むままにしておかれました」は、ステファノによる霊的な説き明かしです。民は偶像崇拝にふけっていた、そして、モーセはそれを見て愕然(がくぜん)としていたであろう、しかしそれは、民の重い罪を裁く神の御心によるものでした。ステファノと同様に、パウロも次のように述べています。

 

ローマの信徒への手紙1:24――

 

そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を(はずかし)めました。

 

人の罪が深まり行き詰まり、「ああ、どうしたらよいのだろう」と嘆くとき、神が最後の最後にどんでん返しを起こしてくださいます。

 

モーセがまことに死を()けて使命を果たし終えたとき、80歳から120歳へと40年が満ちたとき、紅海が二つに割れるように、ヨルダン川の流れが()き止められました(ヨシュア記3:13-17)。神ご自身が、人の罪の重さを担ってくださり、人を赦し、人々を、新たな思いをもって神礼拝する地へと入れられたのです。人々は、御力により罪のどん底から回復させられ、自分たちの生活が神の愛と正義によって支配されることを祈り求めるようになりました。

 

使徒言行録7:55-56――

 

55 ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、56 「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。 

 

ステファノの説教全体を眺めてみると、彼が最後に思ったのは、悔い改めるのはなかなか難しいということであろうと推察されます。それは、説教の終わりが、「彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。…… 天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした」(使徒7:52-53)となっていることからも分かります。

 

しかし、ステファノの「事態は困難だ」という思いが最終ではなく、最後の最後に、聖霊の豊かな注ぎがあるということを、彼は身と心をもって証ししました。

 

聖霊の働きによって、数々の不思議な業としるしが思い起こされ、そして主イエス・キリストの十字架と復活が私たちの信仰の中心に据えられるのです。そこに、まことの悔い改めが起こります。

 

荒れ野の40年を終えようとしたとき、道は下り坂に入りました。それは、ヨルダンの渓谷、死の陰の谷(詩編23:4)を越えるためでした。その際、40年前、モーセ80歳の時に現された、聖なる神の臨在と御言葉が、彼の後継者たちにとって「(むち)」となり「(つえ)」となった(同上23:4)ことでしょう。

 

殉教の道をたどりながら、最後にステファノは、主イエスの十字架上の言葉、その二つ(使徒7:59,60∥ルカ23:46,34)を、主と迫害する者たちに向かって叫びました。それによって、主イエス・キリストの言葉を聴き、聖霊に満たされることが、まことの悔い改めの道であることを指し示したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.6月説教
月報 2017年06月 茅ヶ崎香川教会.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 349.3 KB
2017.5月説教
2017年05月説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 351.6 KB
2017.4説教
2017年04月 説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 369.8 KB
2017.3説教
月報 2017年03月 茅ヶ崎香川教会.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 337.7 KB
2017.2説教
月報 2017年02月 茅ヶ崎香川教会.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 331.8 KB
2017.1説教
月報 2017年1月茅ヶ崎香川教会.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 286.3 KB
2016.12説教
月報 2016年12月 茅ヶ崎香川教会.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 332.6 KB
2016.11説教
月報 2016年11月 茅ヶ崎香川教会.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 337.3 KB
2016.10説教
月報 2016年10月 茅ヶ崎香川教会.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 345.9 KB
2016.9説教
月報 2016年09月 茅ヶ崎香川教会.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 378.5 KB
2016.8説教
2016.8説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 181.0 KB
2016.7説教
2016.7説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 196.2 KB
2016.6説教
2016.6説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 182.8 KB
2016.5説教
2016.5説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 191.8 KB
2016.4説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 180.8 KB
2016.3説教
2016.3説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 118.3 KB
2016.2説教
2016.2説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 147.3 KB
2016.1説教
2016.1 説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 134.8 KB
2015.12説教
2015.12説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 131.9 KB
2015.11説教
2015.11説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 133.3 KB
2015.10説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 139.2 KB
2015.9説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 132.2 KB
2015.8説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 195.3 KB
2015.7説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 183.3 KB
2015.6説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 204.9 KB
2015.5説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 168.3 KB
2015.4説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 176.7 KB
2015.3説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 159.3 KB
2015.2説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 208.3 KB
2015.1説教  .pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 215.2 KB
2014.12説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 181.8 KB
2014.11説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 207.2 KB
2014.10説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 224.3 KB
2014.9説教 .pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 181.5 KB
2014.8説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 191.2 KB
2014.7説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 170.5 KB
2014.6説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 155.1 KB
2014.5説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 171.2 KB
2014.4説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 182.2 KB
2014.3説教 .pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 212.5 KB
2014.2説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 190.1 KB
2014.1説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 158.4 KB
2013.12説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 179.2 KB
2013.11説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 141.6 KB
2013.10説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 133.8 KB
2013.9説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 165.4 KB
2013.8説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 152.6 KB
2013.7説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 180.2 KB
2013.6説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 242.9 KB
2013.5説教.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 199.0 KB

What's New

礼拝  7/24更新

 

 

説教  7/24更新


教会学校 7/30更新