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説  教 (月報より)

  

8月説教

世界を受け継ぐという約束

 

ローマの信徒への手紙 4章13節~17節

小河信一 牧師

 

 

 

最初に、説教題「世界を受け継ぐという約束」に関わる説き明かしを致します。

 

ローマの信徒への手紙4:13――

 

神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。

 

ここに、「アブラハムやその子孫に」と明記されている通り、私たちも、「世界を受け継ぐ」という形で信仰生活を送ることが許されています。いや、私たちには「世界を受け継ぐ」という使命と責務を果たすことが求められています。実際、「その子孫」には、ユダヤ人に対する異邦人など、世界中の人々が含まれています(ローマ2:28-293:294:11)。

 

初めに神より、私たちの信仰の父、アブラハムに「世界を受け継ぐ」という約束が語り告げられました。彼は、神の約束の全体ではなかったにせよ、「世界を受け継がせる」というその前味をあじわいました。すなわち、妻サラと共に、高齢になってから、かけがえのない長子イサクが授けられ(創世記21:1-8)、そしてヘト人たちの間に土地を得た(創世記23:1-20)のです。

 

それから、千年以上の星霜を経て、アブラハムを父と慕い、彼の信仰の模範(ローマ4:12)、すなわち、その足跡行列につらなった人物が現れました。それが、使徒パウロです。パウロは、アブラハムの子孫として、信仰によって、世界を受け継ぐ者となる(ローマ4:16)ということを言い表しました。

 

ある意味、「世界を受け継ぐ」というのは規模雄大なことですが、パウロは生涯をかけ、渾身(こんしん)の力を込め、何よりも「信仰によって」、この上から与えられた使命を全うしました。彼が地中海世界を(また)に掛けて、キリスト教伝道を押し進めていった、その霊的な根拠が、「世界を受け継ぐ者となる」という一句にあったと言っても過言ではないでしょう。「世界」(コスモス)というのは抽象的な空間ではなく、まさにパウロが伝道の足跡を残した、広大な「世界」なのです(参照:Ⅱコリント11:25-27)。

 

皆さんは、「アブラハムやその子孫に世界を受け継がせること」、すなわち、その人(信仰者であるあなたも)が「世界の相続人」であることに驚かれるでしょうか? 「受け継ぐ」という表現から、遺産を相続することを想像し、果たして、自分たちが、「世界(遺産?!)」を相続するのかと当惑されるでしょうか。

 

この「受け継ぐ」の原意は、「くじで割り当てられ、所有する」です。これは、イスラエルの十二部族、各々に領土が「くじで割り当てられた」(ヨシュア記15:1他)ことに由来しています。「くじで」とは、「遊戯で」あるいは「偶然に」というではなく、「神の御心によって」ということでしょう。私たちもまた、御心により世界全体を受け継いでいると同時に、「茅ヶ崎」あるいは「香川」という地に、くじが当たったのです。従って、この地を「受け継ぐ」というその基本は、ここで礼拝を守り、ここで伝道するということです。その上で、世界の平和のために、また、世界の諸教会のために、祈りたいと願います。

 

本日の新約箇所の直前、ローマの信徒への手紙4:12で、パウロはローマの教会の人々ならびに私たちに向かって、父アブラハムによる「信仰の模範」、すなわち、彼の「信仰の足跡」につき従いなさいと、勧めています。それ故に、アブラハムがこの地を行き巡ったように、私たちもまた、茅ヶ崎の地に「信仰の足跡」、信仰の(あか)しを残すよう、伝道に励みたいと思います。

 

そこでまず、創世記17章により、「多くの国民の父」として、アブラハムがどのような信仰の足跡を残したのか、見てみましょう。

 

創世記17:1――

 

アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。

 

「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」

 

振り返りつつ言えば、創世記12章(召命)から15章へ、そして17章へと、神とアブラハムとの出会いの中で、神と人との関係性が明確にされていきます。

 

創世記17:3――

 

アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。

 

創世記17:1-22を通して読むと、すぐに分かることですが、ここには、圧倒的な神の言葉が告知されています。息つく(ひま)もなく(17:1-2,4-8,9-14,15-16,19)、神はアブラハムに語りかけておられます。アブラハムの動作・様子については、「アブラムはひれ伏した」(17:3,17)と記されているのみです。

 

今まさに起こっていること、神の御前にひれ伏すこと、礼拝そのものです。その中で、神は、契約、子孫繁栄、新しい名前、土地贈与、割礼等々のことを、アブラハムに伝達されました。

 

これからはアブラムではなく、アブラハムと名乗るように(創世記17:5)、ということは、神によってアブラハムという人間の存在、その基盤が新たにされたということです。圧倒的な御言葉の力のうちに、アブラハムは、ひっくり返された、新しい命を生きるようにされた、のです。

 

創世記17章を読んだパウロは、次のように想ったのではないでしょうか。

 

「キリスト教というのは、まさにこういうものだ。主イエス・キリストの十字架と復活の言葉を聴く・受け入れるとは、こういうことなのだ。自分は御言葉に圧倒されたのだ。迫害者であったわたし、神の敵であったわたしは、確かに主の呼びかけに()たれた(使徒言行録9:3-6)。第一に自分の為すべきことは、神の御前に、ひれ伏すことである」と。

 

想えば、創世記17章の時点において、アブラハムとサラにとっての最大の関心である、長子の誕生はまだ実現していませんでした。「神よ、お言葉はもう結構です。早く、その約束を実行してください」と反論したくなるところです。神に愚痴をこぼしたくなります。そうであるにもかかわらず、ただ「アブラムはひれ伏した」とだけ言われていることには、重みがあります。

 

ところで、パウロはなぜ、これほどまでにアブラハムを慕っているのでしょうか? 信仰の父だから(ローマ4:11,12,16)、と言えば、それまでですが、「世界を受け継ぐ」という観点から、私はアブラハムとパウロの共通点に気づかされました。

 

二人は、旧約と新約を代表する「大旅行者」です。

 

3,000年以上前、アブラハムは、父テラに率いられ、カルデアのウルを出発し、ハランを経由して(創世記11:31)、カナンの地に入りました。そして、カナンの地が飢饉の際には、エジプトに下り、そこに滞在しました(創世記12:10-20)。その後、アブラハムはエジプトを出て、カナンの地をさすらいました。最後には、異邦人から買い取ったヘブロンのマクペラの洞穴(ほらあな)に葬られました(創世記25:7-11)。メソポタミアからナイル川に至る広大な地域が、神よりアブラハムの人生に割り当てられたのです。さまざまな挫折や中断が起こったことでありましょうが、それは確かに、信仰の旅路であったのです(ヘブライ11:8-9)。

 

創世記17章の圧倒的な神の御言葉の中で、アブラハムへの命令の第一として、「あなたはわたしに従って歩き回りなさい」(17:1)と告げられていました。ここには、共にいましたもうお方として、神からの「立ち上がりなさい。アブラハム あなたは見捨てられていない。目標までには、まだ程遠い。前途は長い」(W.リュティ)という励ましが込められています。

 

パウロは、アブラハムによる信仰の「足跡」、あるいは、その父祖から受け継ぐ「世界」ということを思索する際に、このようなアブラハムの旅路を想起していたのではないでしょうか。およそ2,000年前、パウロは、アブラハムの信仰の「足跡」を、独自のかたちで切り拓いていきました。小アジアやギリシアを巡った三度の伝道旅行、そして、ローマへの旅など、パウロの足跡は地中海世界に刻まれました。

 

行く先も知らずに出発したアブラハム(ヘブライ11:8)ですが、神の備えたまう「土地」の旅路を全うしました。そしてパウロは、その信仰の足跡を、「世界」大のものとして受け継ぎました。両者の旅路はまさに苦難の連続でしたが、「くじで(神の御心によって)割り当てられた」ものとして、自分の人生を()けて、その土地その土地で、礼拝し伝道したのです。殊に、パウロには、異邦人世界における伝道が託されました。彼が、信仰によって「世界を受け継ぐ」という神の約束を、当代随一の都であったローマの人々に説き明かしたのは、意義あることだったでしょう。

 

先ほど、長子の誕生を待つアブラハムということに言及しました。確かに、神の御前に「アブラムはひれ伏した」のですが、真実のところ、彼もまた弱い人間でした。神の約束を疑うこともあり(創世記17:17-18)、また、人を(あざむ)き軽んじることもありました(創世記12:10-2016:6)。また、キリストに出会う以前のパウロのように、自我が強過ぎる、高慢であるという人もまた、弱い人間です。(かたく)なに強がっている人は実のところ、(もろ)く、挫折に耐えられないものなのです。

 

ローマの信徒への手紙4:16――

 

従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。

 

時に、弱い人間である私たちが疑い迷うようなことがあったとしても、「確実に約束にあずかれる」と、パウロは言います。すなわち、神の御力のもとに、神により保証されているので、信仰者はその「約束にあずかれる」というのです。そして、この文脈で初めて出て来たのが、「恵みによって」という句です。

 

神は御前にあって、弱い人間なるアブラハム、また、罪人の(かしら)なる(Ⅰテモテ1:15)パウロに、「恵みによって……確実に約束にあずかれる」とおっしゃられます。神の恵みは、なかなか歩き回ることの出来ない人間、あるいは、(まった)き者とは程遠い人間に注がれています。

 

この説教前に、讃美歌Ⅰ-338番「主よ、終わりまで」を歌いました。これは、誓約を行う結婚式などで、よく用いられます。

 

今日の説教内容との関連で、神と私たちが「約束する」、あるいは、神の前で人と人とが「誓約する」ということを、捉え直したいと思います。

 

キリスト者が「誓う」・「約束する」というのは、自力でやり遂げようと決意を固めることではありません。そうではなく、神の「恵みによって、今誓おうとしている事柄の中心となるように、礼拝の形で宣言され、祈り、讃美するということです。従ってそれは、神の恵みのもとに、誓約する当事者、司式者、そして会衆が一体となって執り行われるのです。

 

神が、この哀れで弱い(しもべ)に、約束にあずかる決心と忍耐と、成し遂げられたことを感謝する心を備えてくださいます。神が、約束が全うされるように、私たちを導いてくださいます。私たちのつとめは、終わりまで、主を愛し、主に仕えることです。

 

ローマの信徒への手紙4:17――

 

「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その()(まえ)でわたしたちの父となったのです。

 

ここには、大別して二つのことが書かれています。「……と書いてあるとおりです」の箇所で、いったん区切られます。しかし、一見異なるように思われる二つの部分は密接に係わりあっています。

 

神は、アブラハムを多くの民と父と定められました。彼には、世界を受け継がせるという約束が与えられていました。アブラハムが「多くの民と父」であるとするならば、その子孫もまた、世界を受け継ぐという約束に連ならせていただいていることになります。その点で、パウロも、また私たちも、信仰の父から、遺産を相続する者と定められています。いちばん大切なことは、そのような有り難い約束が、「信仰による義に基づいてなされた」(ローマ4:13)ということです。

 

その流れの中で、この節の二つ目の内容である「死者に命を与え……」以下を読んでみましょう。

 

ここでパウロは、私たちが信仰によって世界を受け継ぐために、「信仰」の内容・本質を説き明かします。

 

神は、「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる」ということです。アブラハムはこのような御業を為された神を信じた、それが、彼の義と認められた、というのです。

 

パウロは常に、主イエス・キリストに基づいて、信仰を説き明かしています。主の十字架と復活を宣べ伝えています。つまり、ローマの信徒への手紙の要所要所において、父なる神が、主イエスを遣わして、成し遂げてくださったこと、言い換えれば、私たちが信ずべきことを、記しています。

 

今、主イエス・キリストを信じるパウロは、福音の光のもとに、アブラハム物語を読み直しています。キリスト者の信仰の核心は、主イエス・キリストの十字架と復活によって、死者に命が与えられたということにあります。旧約においてアブラハムが告白していないとしても、彼はそのことを信じていた、とパウロは言うのです。

 

私たちにとって大切なことは、主イエス・キリストにおいて、「死者に命を与える」という約束がもはや成就している、ということです。この箇所で、パウロは、主イエス・キリストが十字架につけられ、私たちの罪を贖い、三日後によみがえり、私たちに永遠の命を与えられた、というようには説き明かしていません。しかし、そのことに基づいて、パウロは明確に、アブラハムが信じ、義とされた、その信仰の内容を指し示しています。

 

最後にもう一度、ローマの信徒への手紙4:13「神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束された」に返って、まとめを致します。

 

マタイ福音書5:5 山上の説教 第3の祝福――

 

柔和な人々は、幸いである、

 

その人たちは地を受け継ぐ(原文:未来形 受け継ぐであろう)。

 

主イエスは、「地を受け継ぐ」と言われ、パウロは、「世界を受け継ぐ」と語っています。パウロが、主イエスの第3の「幸いなるかな」を引き継いでいるのは、自明でありましょう。

 

旧約聖書を見ると、「地を受け継ぐ」という約束はさらに、アブラハムへ、そして天地創造へと(さかのぼ)ります。

 

創世記17:8 神→アブラハム――

 

「わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」

 

創世記1:27-28 天地創造の第6日目――

 

27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

 

神は人を創造された、その時に、人に「地を従わせる」という使命と責任を提示されました。ひょっとしたら私たちは、神の御心に従って「地を支配し受け継ぐ」という責務を忘れてはいないでしょうか。

 

どうして、主イエスは、「柔和な人々は……受け継ぐであろう」と言われたのでしょうか? それは、私たちの世界・国々などの歴史や現実を見つめれば、分かることです。

 

歴史的に、「地を支配し受け継ぐ」ことは、しばしば、暴力を振るう人々や隣人を抑圧する人々の手によって為されてきました(W.リュティ)。彼らは、「柔和な人々」とは正反対の、自分の力に依り頼み、自分本位に走る人々です。

 

しかしなお、「地を支配し受け継ぐ」ことが、将来に向けての約束であり、そこにまた主イエスの祝福があったという点において、それは私たちにとってのまことの希望であります。いや、今というのは、主が忍耐し、私たちが自らの高慢さを打ち砕かれ、へりくだるのを待っておられる時であると言えましょう(Ⅱペトロ3:9)。私たちが、混沌とした現状を変えるのではありません。すでに主が祝福された、「柔和な人々は……受け継ぐであろう」という約束に、「確実にあずかれる」と信じることです。アブラハムやパウロという模範に(なら)って、信じて待つことです。

 

「世界を受け継ぐ」……残念ながら、今の世の中は、「神の国」とは全く異なります。また、主の救いに導かれながらも、私たちは柔和さにおいて欠けの多いものでしょう。しかし、ここに「受け継ぐ」と書いてあります。

 

「受け継ぐ」というのは、世代から世代へと受け渡していくことです。最初に創造された人間、アブラハム、パウロ、私たち、子どもたち、と連なり、受け継いでいくのです。今の時、せいいっぱい、私たちは神礼拝をなし、伝道に励むのです。

 

しかし、それで終わりではありません。次の世代へと、信仰を、「世界を受け継ぐという約束」を伝えていくのです。

 

確かに、終わりの時は、いつ来るか、分かりません。その突然の到来に備えつつ、私たちが新しい世代へと、信仰の宝を受け渡せるよう、御霊の導きを()い願うものであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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