礼拝、説教

 

                                                     礼   拝

 

礼拝は、神と人との交わりの場、出会いの時です。み言と聖餐を通してキリストを受け、祈り、讃美、信仰告白、献金などを通して、みずからを神に献げます。私達の信仰と生活の原点がここにあります。

次週の礼拝
             聖霊降臨節 第5主日礼拝

               

  

    2017・7.2(午前10時15分~11時30分)

 (*支障のない方はお立ち下さい)
招き                前奏
                * 招詞     詩編48編13節~15節

                * 頌栄           539番

                * 主の祈り   (讃美歌564)

悔改め         * 讃美歌    Ⅱ-111番

          * 交読文      31 詩編119編

神の言           旧約聖書   詩編69編10節
            新約聖書     ヨハネによる福音書2章13節~25節

                     祈祷
                 * 讃美歌       194番              

説教              「熱意のうちにある深さ」  小河 信一牧師    

                     祈祷           
                 * 讃美歌     267番

                 * 使徒信条

感謝・献身        献金
                     報告
                 * 讃詠        545番
祝福・派遣        祝祷
                     後奏

 

 

説  教(礼拝)

「主が語りかけ語り終えられる」
創世記18章16節~33節
ヤコブの手紙5章16節
20170625説教.MP3
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「最初のしるし」
ヨハネによる福音書2章1節~12節
エレミヤ書13章12節~14節
20170618説教.MP3
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「不思議なしるし」
使徒言行録7章17節~43節
民数記14章33節~34節
20170611説教.MP3
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「神の救いと恵みー教会の誕生」
使徒言行録2章1節~13節
申命記16章9節~12節
20170604説教.MP3
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説  教 (月報より)

  

6月説教

命の木への道を守る神   

創世記 節~24

小河信一 牧師

 

 

 

本日から、今ひと度、月1回の旧約聖書の講解説教を始めます。旧約に力点を置きながら、旧約から新約への流れを見渡すよう、御言葉を学びます。そこで、創世記3章を取り上げます。

 

キリスト教という宗教は、初めと終わり、そしてその初めと終わりのつながりを大切にしています。以前、説教の中で、キリスト教においては、初めと終わりに関して、けじめがついている……明確に初めの言葉・出来事を受けて完了している……と説明したことがあります。言い換えれば、聖書のページの、初めと終わりが折り目正しく重なり合っているということです。主のご計画とその成就において、初めから終わりへの見通しがついているのです。

 

そうことで本日は、聖書の初め、創世記3章と、最後中の最後、ヨハネの黙示録22:14-15とを重ね合わせて読むことにしましょう。

 

もちろん初めから終わりにというその真ん中には、主イエス・キリストの十字架が立ち、そして主の復活によって私たちが罪と死から救い出されたという出来事があります。それを取り囲むようにして、初めに何があったのか、また終わりの時に何が起こるのだろうか、ということに、私たちは注目するのです。

 

初めに、創世記3章とヨハネの黙示録22:14-15との連関あるいは骨組みを理解するために、両方に共通する鍵語を提示しましょう。

 

創世記3:20-21――

 

20 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。21 主なる神は、アダムと女に(かわ)(ころも)を作って着せられた。

 

これは、アダムとエバがエデンの園から追放されたという有名な「失楽園」の一節です。二人が禁断の()の実(創世記2:173:3)を食べてしまった(同上3:6)が故に、主なる神はただ裁こうとされているのではありません。丁寧に創世記3章を読んでみると、神は初めから恵みを人間に(ほどこ)そうとされていることが分かります。

 

アダムとエバは禁断の()の実を食べ、死にも値する罪を、「神のように」(創世記3:5)なろうとする高慢の罪を犯しました。彼らは、もはや神には顔向けできないと思っていた(創世記3:8)でありましょう。しかし、主なる神は、二人に対して、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてください」ました(Ⅰコリント10:13)。

 

神は、ご自身が直接にではなく、夫を通して女を、エバ(命)と命名されました。神は命を創り守られる神であり、その神によって与えられた命を、夫婦が協同して維持していくように(はか)らわれたのです。

 

ここで聖書は、人類最初の人々が何を着ていたのか、という点に注目させています。

 

創世記2:25――

 

人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

 

創世記3:7――

 

二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

 

いちじくの葉を身に付けているアダムの様子と言葉(創世記3:8,10)からは、ぎこちなさ、着心地の悪さがにじみ出ています。そこで、神はアダムとエバのそのような思いを察して、「皮の(ころも)を作って着せられた」のです。第一の鍵語は、神の憐れみを象徴するかのような、この「皮の衣」です。ちなみに、洗礼者ヨハネもまた「らくだの()(ごろも)」を着ていました(マタイ3:4)。

 

次に、第二の鍵語を見てみましょう。

 

創世記3:22――

 

主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

 

少し遠回しの言い方ですが、今は、大罪を犯したばかりの人間に「命の木」の実を食べさせないようにしようという神の御心があらわされています。ただ、最後の最後まで、人が「命の木」の実にあずかれないのかどうかについては記されていません。

 

神は、罪にまみれた人間の手が()の実に触れないように、「アダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた」のです(創世記3:24)。この「命の木」が第二の鍵語です。

 

そこで、聖書の最初の記事から最後の記事へと飛びましょう。二つの鍵語を通じて、初めと終わりがつながっているか、確認しましょう。

 

ヨハネの黙示録22:14――

 

命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分のを洗い清める者は幸いである。

 

「命の木に対する権利を与えられ」、つまり、楽園から追放されて、一度は失ってしまった「命の木に対する権利」を、神はここで回復してくださるというのです。まさに、神の恵みによるどんでん返しです。

 

そして、原文では、「幸いなるかな」(他にマタイ5:3-11)が冒頭に置かれているこの句に、「自分の衣を洗い清める」ことが昭示されています。

 

年中実を結んでいる命の木(ヨハネ黙示録22:2)に対する権利が回復され、天国の「門を通って都に入れるように」、その土台として、人間がそれにふさわしい者となれるように、「自分の衣を洗い清める」と書かれています。

 

神により与えられ、神の加護を表していた「(かわ)(ころも)」は、主イエス・キリストにおいて洗い清められます。主イエス・キリストの十字架の血潮によって、「自分の衣」、罪と汚れの染み込んだ「わたしの衣」が真っ白に(マルコ9:3、ヨハネ黙示録3:57:14)されるのです。

 

このように、聖書においては、初めの言葉と出来事が、たとえ中間で影が薄くなったとしても、必ず終わりへとつながり、完了されるのです。「幸いなるかな」との神の祝福をもって、御言葉が成し遂げられます。途中で、木が枯れ果て、衣がボロボロになろうとも、あるいは、見栄えのする華やかな()(しょう)流行(はや)ろうとも、私たちは終わりの時、真新しくなる「命の木」と「皮の衣」を待ち続けるのです。

 

創世記3章は、蛇から女へ、女から男へと、罪への(いざな)いと実行が及んでいくという有名な箇所です。と同時に、ここに登場するのは最初の人間でありながら、彼らの言動を通じて、普遍的な人間像ならびに人間関係が(あば)き出されています。

 

創世記3:8-9――

 

8 その日、風の吹くころ、主なる神が(その)の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の()の間に隠れると、9 主なる神はアダムを呼ばれた。

 

「どこにいるのか。」

 

「その日、風の吹くころ」、夕暮れ時に、神はエデンの園を散策しておられました。これを、神が留守番から戻って来た場面と解釈するのは間違いでしょう。神はいつも人間のそばにおられるお方ですから、「園の中を歩く音」…(まさ)に音づれ・(おとづ)(音立てること)…によって、神の臨在をアダムの心に呼び覚ましたということです。

 

その時、人は哀れにも「神の顔を避けて、園の木の間に隠れ」ました。神に合わせる顔が無かったのです。それに対し、神は「(あなたは)どこにいるのか」と問いかけられました。今回の「食い逃げ」犯罪関係者の一人を、まず呼び出されました。

 

原文に「あなたは」とあるように、「あなたが隠れているのは分かっている。あなたはもう堪忍(かんにん)しなさい」と、神はアダムを御前に立たせようとしておられます。神は、人間、一人ひとりの存在を大切し、一人の罪人が悔い改める(ルカ15:10)のを待っておられます。この神の呼びかけに対し、アダムの応答は何とも情けないものでした。

 

創世記3:10――

 

彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」

 

「わたしは裸です」……アダムは女と共に、いちじくの葉で応急措置したのではなかったでしょうか。今、裸なのか、それとも何かで身を(おお)っているのか、自分が自分で分からなくなっているようです。そして、「あなたの足音が園の中に聞こえたので」という言い訳も、「神は我々と共におられる」(マタイ1:23)というインマヌエル信仰からかけ離れています。アダムは行いにおいて罪を犯し、さらに軽薄な言葉により罪の上塗りをしています。

 

どうしようもなく駄目なアダム……だからこそ、アダム、すなわち、彼と同列の罪人であるわたしにとって、神の御前にしっかりと立つことが大切なのです。

 

創世記3:12――

 

アダムは答えた。

 

あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、(わたしは)食べました。」

 

アダムは「(わたしは)食べました」ということはそっちのけにして、事もあろうに神に向かって声高に責任追及しています。エバという女は「あなたが(めあ)わせてくださった、その「女が」食べるように言ってきた、とアダムはまくし立てています。典型的な罪のなすり付けですが、我が身を省みざるを得ません。

 

創世記3:16――

 

神は女に向かって言われた。

 

「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。

 

お前は、苦しんで子を産む。

 

お前は男を求め

 

彼はお前を支配する。」

 

これは、女が罪に陥った状況の中での、神からの罰の宣告の一節です。ですから、女が罪を悔い改め、立ち直った時に、これがどうなるか、再考される余地があると言えます。殊に、「お前は男を求め 彼はお前を支配する」という男女のあり方が不変のものかどうか、神のみご存知のことです。

 

ところで、男女平等の観点から言えば、「彼(男)はお前(女)を支配する」との言葉は批難を浴びそうです。しかし、これは一句中の後半であって、前半に「お前(女)は男を求め」とあるのを看過してはなりません。

 

前後半を意訳しながら言うと、「女は熱烈なる情欲あるいは恋い慕いをもって男に迫る、それに応じて男は、時に穏健に時に権威的に、女を治めるであろう」となります。男女の特性がペア((つい))になって浮き彫りにされていることが分かります。

 

さらに、これは私の独自な理解なのですが、原文の対句の、前後半に使われている二つの前置詞に注目して、男女の違いを見てみましょう。

 

一方、女は男に forward向かって」恋い慕い、

 

他方、男は女の in「中で」治めようとする。

 

 ※ヘブライ語 原文・前置詞 エル「~に向かって」:「~の中で」

 

一方、女は生涯、忍耐強く、男・夫に「向かい」、息子・子どもに「向かい」、そして孫や友人に「向かい」続けます。女は人を、強く慕い求める者です。

 

他方、男は、物事に「向かって」熱中する傾向はありますが、人間関係において密接に・濃やかに・情緒豊かに「向かって」生きるという点では、男は女に劣っています。

 

男は女の「中で」、彼女を隅々に至るまで支配するとも言えますが、裏を返せば、彼女の中に引き()もってしまい、親族や世間との交わりがリフレッシュし難いという面があります。男が揺るぎない関係を好むというのも、善し悪しです。

 

今はただ、聖書の一節を解説しているのです。現実には、この男女の傾向には例外が多々ありますし、これが大原則だと主張しているのでもありません。

 

ここで私たちが知るべきは、女の恋い慕いと男の支配の中で、寄り添い合う生活が営まれる、そこに喜びも悲しみも罪への堕落も立ち現れてくるということです。

 

創世記3:19 神はアダムに向かって言われた――

 

「お前は顔に汗を流してパンを得る

 

土に返るときまで。

 

お前がそこから取られた土に。

 

(ちり)にすぎないお前は塵に返る。」

 

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」という形で、初めに神に創られた人間は、終わりに「塵に返る」(詩編90:3、ヨブ記10:9)のです。「塵に返る」というのが、地上の生涯での、人間の最後の姿です。

 

神は厳しくも、神および人との関係の破れの行き着く先として、「死」を暗示されました。しかし、それが、神から人への最終宣告ではありませんでした。神は、「死」の先にある、あるいは、「死」を乗り越える「命」を、初めの人間に教えられました。

 

すでに説き明かした通り、「塵に返る」というその直後には、男が女に「命」と命名する記念と、神がその二人に「(かわ)(ころも)」を(よそお)う祝福とが相並んでいます(創世記3:20-21)。

 

ヨハネの黙示録22:14――

 

命の(クスュロン)に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。

 

ここには、創世記3:21,22,24などに反響するかたちで、「命の木」と「自分の衣」という言葉が含まれていると、すでに説明しました。原文では、「幸いなるかな」が冒頭に置かれて、主イエスによる山上の説教(八福あるいは九福 マタイ5:3-11)と並ぶような美しい詩になっています。祝福された人間の姿が描かれています。

 

この節の後(ヨハネ黙示録22:15)では、対照的に、神に依り頼むことなく、キリストを信じないままでは、悲惨なことになると告げられています。

 

「幸いなるかな 自分の衣を洗い清める者は」の「幸いなるかな」とは、父なる神の御力が主イエス・キリストを通して充満している者は、という意味です。だとすれば、どうすれば、自分の衣が清められるのでしょうか?

 

自分が「洗い清める」のではありません。主イエス・キリストの十字架の血潮によってこそ、自分の衣が洗い清められるのです。わたしの衣、すなわち、わたしという人間存在そのものが(きよ)められるのです。そうして今や、私たちの罪の汚れが洗い流されました。

 

遠い遠い昔、主なる神がアダムとエバに貴重な「(かわ)(ころも)」を作って着せられたという出来事は、「洗礼を受けてキリストに結ばれ……キリストを着ている」(ガラテヤ3:27、ローマ13:14)というかたちで完全に成就したのです。

 

いつもキリストを着ている、つまり、衣食住、私たちの人生の土台に主イエス・キリストが据えられている……それによって、私たちは、「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れる」というまことの希望に生きるようになります。

 

「命の木」……それは、どんな木で、どんな木の実をつけるのでしょうか。

 

それは、カルバリの丘に立てられた三本の十字架の木、その一つの、主イエス・キリストの木とつながっているのではないでしょうか。それには、主イエスの十字架と復活によって現された永遠の命が宿っていることでしょう。

 

 

 

天国の「命の(クスュロン)が、使徒言行録5:30やペトロの手紙 2:24 の用例のように「(クスュロン)=「十字架」だとすれば、そのは、永遠の命の元なる十字架と想像することも許されるでありましょう。

 

エデンの園の「命の木」は人間の欲望により、汚されてしまいましたが、神は人間が二度と手を伸ばして触れないように、「命の木に至る道」を守られました。それは、永遠に人間を排除するためではありませんでした。私たちが天国に入るのを許される時、私たちの目の前には「命の木に至る道」が開かれているのです。聖霊の力にあずかり、十字架の(クスュロン)という命の木……いやそれはただただイエス・キリストご自身か……が御国の真ん中に立っている幻を(いだ)いて、歩んで行きたいと願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.5月説教
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