礼拝、説教    次週の礼拝是非お出掛け下さい。

来週の主日礼拝

2019年11月24日  

午前10時15分~11時30分

降誕前第5主日 

 

 

前奏

招詞   詩編22編 4節~6節

頌栄   544

主の祈り

讃美歌  68

交読文  46 マタイ6章

旧約聖書 サムエル記下 12章1節~14節 

新約聖書 ローマの信徒への手紙 5章8節

祈祷

讃美歌  527

説教   「その男はあなただ」

              小河信一牧師

祈祷

讃美歌  Ⅱー185

 

使徒信条

献金

報告

讃詠   545

祝祷

後奏

「わたしをあわれんでください」
マルコによる福音書10章46節~52節
             (大人と子どもの合同礼拝)
191117_001.MP3
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「イエスをメシアであると公に言い表す」
詩編19編9節
ヨハネによる福音書9章13節~23節
191110_001.MP3
MP3 オーディオファイル 36.4 MB
「死ぬはずの体をも生かす」
ヨブ記1章21節
ローマの信徒への手紙8章1節~11節
191103_002.MP3
MP3 オーディオファイル 29.1 MB
「神の業がこの人に現れるため」
エゼキエル書18章20節
ヨハネによる福音書9章1節~12節
191027_001.MP3
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説  教 (月報より)

               10月 

 

説教 真理はあなたたちを自由にする 』 

 

ヨハネによる福音書 8章31節~38節     

小河信一 牧師

 

 主イエスは「真理はあなたたちを自由にする」と語られました。この句は、諸外国を含め、多くの大学や図書館で標語のように掲げられています。そこで今日は、本来、この言葉はどういう意味を持っているのか、聖書に基づいて捉えることにします。

 

今回のテキスト中には、「真理はあなたたちを自由にする」ということを、まったく受け止めようとしないユダヤ人たちの様子が描かれています。

 

マタイ8:38 イエスはユダヤ人たちに言われた――

 

「わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」

 

この節の「あなたたちは父から」の「父」は、驚くべきことに「悪魔である父」(ヨハネ8:44)との後段の説明から分かるように、悪魔を指しています。つまり、ユダヤ人に対する、「あなたたちは悪魔が耳元でささやいたことを実行に移している」という主イエスの痛烈な皮肉なのです。ここに、人間の罪性に関わる重要な問題が(あば)かれていますが、この点の詳しいことにつきましては、次回の講解説教にゆずりたいと思います。本日は、「真理はあなたたちを自由にする」という深く重い言葉をひもとくことに集中いたします。

 

まず、大前提となることですが、「真理」とは一体何でしょうか? 議論の出発点となる「真理とは何か」(ヨハネ18:38)について、誤解があったり、その定義が異なるならば、ボタンの掛け違いとなることでしょう。

 

そこで私は参考までに、英和辞典と国語辞典で、「真理」という単語について調べてみました。

 

英語では、「真理」はおおむね“ truth ”で表されています。ただし、“ truth ”を英和辞典で引いてみると、「立証された事実。真実であること。観念的・本源的真理」というように、幅広い意味を持っていることが分かります。聖書で言う「真理」は単なる「事実」ではないでしょう。

 

また、国語辞典で「真理」を引くと、「①ほんとうのこと。②判断の客観的妥当性。③思考の法則にかなっているという意味での正しさ」(広辞苑)と解説されています。文中の「客観的妥当性」は、「真理」を追求する信仰者の主体的実存とは対照的です。また、私たちは、「思考の法則」を超えた神の御旨をあおぐ信仰的姿勢に立っています。「真理」が自分の「思考の法則にかなっている」か、で速断されるなら、「真理」を()らえ(そこ)ねることになるでしょう。

 

いずれにせよ、いくら辞典や辞書の語彙(ごい)説明を参照したとしても、主イエスの説かれる「真理」には焦点が合わせにくいということをご理解いただければと思います。

 

さて、本日の旧約聖書箇所は、ヨハネ福音書8:35「奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかない……」との連関で、次の聖句を選びました。

 

出エジプト記21:2――

 

あなたがヘブライ人である奴隷を買うならば、彼は六年間奴隷として働かねばならないが、七年目には無償で自由の身となることができる。

 

この文章を、単なる社会的ルールとして読むのか、それとも、神がモーセにとりつがせた律法として読むのか、によって、私たちにとっての意味合いが大きく変わってきます。これが、社会的ルールであるならば、現代日本に生きる私たちには無用です。しかし、神の愛と正義があらわされた、「真理」を含む教えであるならば、熟慮すべきです。

 

十戒により、分かりやすく説明しましょう。

 

出エジプト記20:12――

 

 あなたの父母を敬え。〈十戒・第5戒〉

 

これも、出エジプト記21:2と同様に、神がモーセにとりつがせた律法です。

 

もし、「あなたの父母を敬え」という命令を道徳的な教えとして見るならば、命じられているのは、父母のいる子です。これを、道徳的に実践できるのは、親が生きている人だけです。

 

しかし、「あなたの父母を敬え」を一つの真理として聴くならば、どうでしょうか。すでに父または母が()くなった人にとっても、これは、両親の記憶をたどりながら、生涯担っていくべき課題であり、人生の指針となるものではないでしょうか。あるいは、父母が生きているときに確執(かくしつ)や行き違いがあった人は、今こそ冷静に親を敬うことについて顧みられるのではないでしょうか。キリストはそこで生じる人知れない私の痛みや()いを見ていてくださるでしょう。そうして、私たちの内に、「あなたの父母を敬え」を真理とし、告げ広め実行する力が湧いてくるのです。

 

では、神がこうすべきであると、霊的な指導者モーセに示された出エジプト記21:2を、キリストの教えに即して読み直してみましょう。

 

出エジプト記21:2――

 

あなたがヘブライ人である奴隷を買うならば、彼は六年間奴隷として働かねばならないが、七年目には無償で自由の身となることができる。

 

時の表示に注目すると、奴隷に関する六年間の労働と七年目の無償の自由が実は、神による六日間の創造の御業と七日目の安息と並行していることが分かります。つまり、奴隷として買われたヘブライ人をどのように扱うかの律法は、天地創造の時の神の御業と安息(創世記1:12:3)に即して定められているということです。

 

従って、その奴隷を受け入れた「主人」はその人に隣人のように接しなければなりません。六日間、神が労苦されたように、主人は奴隷と共に労苦するのです。そして、七日目、神の無償の安息を、すなわち、奴隷が自由の身となったことを、自分自身のことのように喜び感謝するのです。

 

買い取られて、私のもとにやって来た奴隷は、まさに苦難の中にある私の隣人です。忍耐と愛と正義をもって、この難局を乗り切るには、「隣人を自分のように愛しなさい」と、律法を教えてくださった主イエス・キリストに寄りすがるほかありません。主イエス・キリストに依り頼むとき、出エジプト記21:2は重苦しい(おきて)ではなく、隷属(れいぞく)から自由へと至る道を示す「真理」として輝くことでしょう。

 

先ほど、「真理はあなたたちを自由にする」の「真理」は英訳では、おおむね“ truth ”が当てはめられると紹介しました。では、「自由にする」の「自由」には、どんな英単語があるでしょうか?

 

「自由」は、大まかに言えば英語では二つの語彙が用いられています。すなわち、“ freedom ”と“ liberty ”です。一方、“ freedom ”は、束縛のない自由自在さまたは(ゆる)められた状態を、他方、“ liberty ”は、束縛からの解放・自由を表しています。

 

私たちはこれらの英語を通して、聖句「真理はあなたたちを自由にする」の「自由にする」の深意を汲み取ることができます。すなわち、「束縛から解放」されて、心身の「(ゆる)められた」安らぎを得られるということが、真理によって「自由になる」には含意されています。

 

ヨハネ福音書8:31―― 

 

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉の中とどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。」

 

K.バルトは、「言葉の中にとどまるとは、ある意味で、人が聞いたこの言葉の中に定着し、住居を定めて、()続けること、そしてもはや、さまよったりしないことを意味する。(しか)り、言葉の中で呼吸すること、それが、言葉の中で生きることを意味する」と説き明かしています。私たちが、神の「言葉の中で呼吸する」には、聖霊の導きに従うほかありません。聖なる息吹に生かされることが、御言葉中心の礼拝と日常生活に「()続ける」力の源なのです。そうすれば、「あなたたちは本当にわたしの弟子である」と、主イエスが宣言しておられます。「言葉の中で呼吸する」ならば、私たちもまた、心で信じて口で公に言い表す者となることでしょう(ローマ10:9)。

 

ところで、次節のヨハネ福音書8:32に「真理はあなたたちを自由にする」という言葉が出て来ます。ここで或る人は、「とどまる」と「自由にする」とは、正反対のことではないかと疑問を抱かれるかも知れません。一つの所に引き止められたとしたら、それは不自由なのではないか、という素朴な疑問です。確かに私たちは、自由にどこへでも出かけられるのが妨げられてはならない、と思います。

 

ここにまさに、イエス・キリストの福音における不思議・逆説、あるいは、この世の発想からの離脱・逆転が()ります。

 

マタイ福音書11:29-30 主イエスの言葉――

 

29 「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 

このマタイ福音書11:29「わたしの(くびき)を負い、わたしに学びなさい」とヨハネ福音書8:31「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子(原意:学ぶ人)である」とは見事に並行しています。さらには、「そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」は「真理はあなたたちを自由にする」に通じています。「(あなたの魂の)安らぎ」は殊に、英語の“ freedom ”「束縛のない自由自在さまたは(ゆる)められた状態」を指していると言えましょう。

 

主イエスは、「わたしの軛につながれる、そこにとどまることにおいて、わたしから学ぶことができ、さらに、本当の安らぎ・自由を得るのだ」と教えてくださっています。主イエス・キリストのもとにこそ、本当の自由があるのです。キリストから離れてはなりません。

 

それでは、「真理とは何か」?

 

ズバリ、それは、主イエス・キリストご自身です。その主イエス・キリストが愛と正義をもって私たちに示してくださる言葉です。

 

ローマの信徒への手紙7:14には、「わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています」という一節があります。この(でん)でいうと、キリスト教において、真理は霊的なものです。

 

私たちの(さが)として、真理をこの手につかみたいという欲求が()ります。多くの人が、生きる秘訣として真理を知りたいと思っています。それが、明確な言葉であれば、自分の手帳に書き記して、人生の逆転や飛躍の()(どころ)としたいと願うことでしょう。

 

しかし、主イエス・キリストの言葉は、一点の曇りも無い、明らかなものであると同時に、霊的なものなのです。罪が働いて、「この手につかみたい」と欲するとき、真理は遠のき、裏腹に偽りが忍び寄って来ます。

 

そのような時、主イエス・キリストご自身が真理であるという原点に立ち帰ることが大切です。

 

文脈に沿えば、「真理はあなたたちを自由にする」の「あなたたち」は、イエス「御自分を信じたユダヤ人」(ヨハネ8:31)を指していますが、信仰者である私たちをも含んでいます。では、「あなたたち」と呼んでくださる「わたし」は、一体誰なのでしょう?

 

言うまでもなく、主イエス・キリストです。ということは、主イエス・キリストは、「わたし」と「あなたたち」、(われ)(なんじ)(なんじ)())という人格的関係を結んでくださるお方であると分かります。

 

(なんじ)」が「(われ)」なる主イエス・キリストに向き合い、信じるならば、「汝」は自由にされます。キリストとの霊的な関係に立って、私たちは「真理はあなたたちを自由にする」という宣言に耳を傾けたいと願います。しかしながら、罪深い人間は、自分で真理をつかむと言って失敗し、また、真理をつかんだと言って偽りに手を染めて失敗するものであります。

 

慈しみ深い神は、そのような私たちに「真理」を近づけてくださいました。

 

御子、イエス・キリストは、一人のみどり()として、ユダヤのベツレヘムでお生まれになりました(マタイ2:1)。そこは、誰しもが近づける平凡な村里でありました。そこを、羊飼いたちが、また東方の博士たちが探し当てました。御父は御子を遣わして、御子を私たちに近づけさせ、私たちの間に宿らせました。御子を包んだ栄光について、ヨハネ福音書1:14は、次のように証言しています。

 

それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

 

イエス・キリストは、満ちあふれるほどの真理のもとにお生まれになり、その真理を最後まで、十字架の死に至るまで貫かれました。

 

「真理が独得な姿で私たちに近づいて来る。光り輝く近寄りがたい栄光に包まれてではなく、十字架につけられた真理として、十字架につけられたキリストとして、真理が私たちに近づく。そして、真理は私たちに向かって語りかける。」

 

                        (D.ボンヘッファー)

 

私たちの心が、私たちが限りなく邪悪な罪に支配されているかぎり、真理はますます遠ざかって行くことでしょう。しかし、神はそれを良しとされませんでした。神は恵みにより、罪人や貧しい者を、真理のもとに引き寄せられました。

 

ある意味では、私たちの「長い」人生です。その道中で、「いつまで主の言葉の中にとどまれるのか、また、いつまでキリストの傍らにとどまることができるのか」と思わなくはないでしょう。そのような私たちに向けて語られた言葉があります。

 

ヨハネ福音書8:35 イエスはユダヤ人たちに言われた――

 

「奴隷は家にいつまでもいる(とどまる)わけにはいかないが、子はいつまでもいる(とどまる)。」

 

この意味は、「罪の奴隷は、家すなわち、神のもと・教会に永遠にはとどまれない、しかし、子すなわち御子とキリストの子どもたちは、永遠にとどまる」ということです。神は「いつまでも」・「永遠に」と約束してくださっています。将来を見据(みす)えて「とどまる」(()続ける)というのは、いつしか「自由」を、自分勝手にできることと()き違えるやも知れない私たちへの忠告でもあります。

 

最後のまとめを致します。

 

一体、私たちは何から解放されなければならないのでしょうか? 何から自由になるというのでしょうか?

 

……この世のしがらみやしきたりから解き(はな)たれたい。学校の校則から自由になりたい。こだわりや思い込みの強い自分や家族がいやになった。しまいには、自由を妨げている犯人捜しをしようかなどと思い(わずら)い、“ freedom ”「安らぎ」の境地には至りません……

 

私たちは何から、“ liberty ”「解放」を得るために、神の御前に立っているのでしょう。

 

私たちが自由を得られていない根本原因は、神の怒りにあります(イザヤ書64:8、ローマ1:18)。神の怒りがこの私の上に()()かっていることにあります。そこがまさに、私たちが「自由になる」出発点であります。

 

しかし、自力では罪を犯すのを()められません。死という終着駅へ進むのを()められません。

 

ガラテヤの信徒への手紙5:1――

 

この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の(くびき)に二度とつながれてはなりません。

 

「真理はあなたたちを自由にする」の「真理は」というのは、「キリストは」であり、主体・解放者がキリストであることが明示されています。キリストは、神の怒りから解放されていない私たちのもとに遣わされました。そして、「キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです」。

 

これは、英語本来というよりも、私の「用語法」ですが、主イエス・キリストの十字架と復活によって、“ liberty ”「解放」と“ freedom ”「安らぎ」がもたらされました。

 

主の十字架によって、私たちは罪と死から解放されました。そして、主の復活によって、永遠の命、永遠なる神の(かたわ)らにいる安らぎが約束されています。「子はいつまでもいる」というのは、私たちへの最大の贈り物です。

 

「真理はあなたたちを自由にする」というのは、世間の人々がよく知っている言葉です。どうか、キリストにあってこの言葉の深意を語り伝えさせてください、と祈るものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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