礼拝、説教    次週の礼拝是非お出掛け下さい。

来週の主日礼拝

2019年9月22日  午前10時15分~11時30分

聖霊降臨節16主日

 

前奏

招詞   詩編13編 4節~5節

頌栄   544

主の祈り

讃美歌  74

交読文  38 出エジプト記20章(十戒)

旧約聖書 ヨナ書4章1節~11節

新約聖書 エフェソの信徒への手紙4章26節

祈祷

讃美歌  Ⅱー145

説教   「惜しむ神」

                小河信一牧師

祈祷

讃美歌  536

使徒信条

献金

報告

讃詠   545

祝祷

後奏

「神に属する者は神の言葉を聞く」
イザヤ書64章7節
ヨハネによる福音書8章39節~47節
190915_001.MP3
MP3 オーディオファイル 34.3 MB
「真理はあなたたちを自由にする」
出エジプト記21章2節
ヨハネによる福音書8章31節~38節
190908_001.MP3
MP3 オーディオファイル 41.1 MB
「律法が霊的なものであると知る」
列王記上21章20節
ローマの信徒への手紙7章13節~17節
190901_001.MP3
MP3 オーディオファイル 30.5 MB
「神の招き」
ヨナ書1章1節~16節
使徒言行録3章26節
190825_001.MP3
MP3 オーディオファイル 20.5 MB

説  教 (月報より)

 

 

                 8月説教

 

 

 


説教 沖に()ぎ出そう   

(大人と子どもの合同礼拝)

ルカによる福音書 5章1節~11節     小河信一 牧師


 


本日は、ルカ福音書5:1-11の物語をそのまま、皆さんの心にすっぽり納められるようお話しいたします。


この物語の中心の場面は、この度制作・配布したチラシに掲載されているところ(湖上の舟の中、ペトロがイエスにひれ伏している絵)です。聖句で言えば、ルカ福音書5:8です。


最初に、この出来事の時間と場所を説明します。


場所に関しては、主イエスが歩いておられた所、ガリラヤ湖(ゲネサレト湖)の岸辺から始められています。時間に関しては、必ずしも明瞭ではないのですが、ペトロの言葉に「夜通し苦労しましたが」(ルカ5:5)とあるのが注目されます。すなわち、ペトロたちが不漁に見舞われた直後の朝、夜明けを迎えていた頃と想定されます(参照:ヨハネ21:4)。ひと口で言えば、湖畔の朝の出来事であるということです。皆さんが静かな朝、湘南海岸のどこかで散歩をしている、と(おも)っても良いでしょう。すると……


ルカ福音書5:1――


イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその(まわ)りに押し寄せて来た。


湖畔に立っておられる主イエス・キリスト……それは、私たちの人生の()()(ぎわ)、生死や明暗が分かたれる(あや)うい所に、主がおられるということです。その瀬戸際で、主イエスは私たちに人生の方向を、歩むべき道を示してくださいます。主イエスは、陸と海の狭間(はざま)に、私たちがついて行けるよう、足跡を残されます。


私たちが何の準備もしていないとき、主イエスは私たちのもとにやって来られます。私たちの前に、主イエスは「立っておられ」ますから、私たちはそのお方に気づきます。すぐに主イエスを見つけ出すことができます。


その意味では、群衆が、立っておられる主イエスの「(まわ)りに押し寄せて来た」のは自然なことです。


ルカ福音書5:3――


そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し()ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。


主イエスは、岸辺の混雑から(のが)れようと、シモン・ペトロに「岸から少し()ぎ出すように」頼まれました。


「一そう」というのは、「二そう」舟がある(ルカ5:2,7)うちの片方でした。ルカ福音書5:10を考慮すると、一そう目にはペトロとアンデレの兄弟が、そして二そう目には、ヤコブとヨハネの兄弟が乗っているということになります。四人は皆、漁師で、この物語では全員、湖に漕ぎ出すことになります。


大切なことは、「岸から少し()ぎ出しなさい」との懇願・命令が、後に出て来る「沖に()ぎ出しなさい」(ルカ5:4)との大命令と対になっていることです。主イエスは、いきなり無理な命令を出して戸惑わせるというのではなく、段階を追って、計画的に福音宣教を進めてゆかれます。


主イエスは、「ちょっと」舟を漕いでくれるよう、ペトロに頼まれました。彼は不漁に()って、意気消沈していたかも知れません。主イエスはその心を見透(みす)かすかのように、「ちょっと」動き出そうと(いざな)われました。今日は、ウェルカム礼拝・伝道礼拝を兼ねていますが、「岸から少し()ぎ出しなさい」を言い換えれば、「まず教会に来てごらんなさい」と言えるでしょう。そこに、人の弱さに寄り添う主イエスの優しさがあります。


まず家から外へ一歩踏み出すのです。足を教会に踏み入れたところで、すぐに「キリスト体験」は起こらないかも知れません。しかし、その一歩は間違いなく、後への土台となるものです。


「岸から少し……」において、ペトロとアンデレは主イエスをお助けする奉仕ができましたし、群衆は主イエスの教えを聞くことができました。波に揺られて、主イエスご自身は少し不安定だったかも知れませんが……。


ルカ福音書5:4――  


話し終わったとき、シモンに、「沖に(原意:深い所へ)()ぎ出して(あみ)を降ろし、漁をしなさい」と言われた。


沖に」という言葉を聞いた時、ペトロはすぐさま主イエスに、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と言い返しました。「岸から少し」から「沖に」という展開は、ペトロにとって予想外でした。主イエスが何をお考えになっているか、ペトロには分からなかったのです。しかし、それこそまさに、主イエスの計画であり、「深い所へ」の導きであったのです。


ここで(特に大人の方に)お尋ねしますが、「沖に()ぎ出して(あみ)を降ろし、漁をしなさい」を、愛唱聖句にしておられる方はいらっしゃいますか?


確かに、とても良い御言葉です。キリスト者の生活の中で、何かサプライズ(驚き)が起こることを期待させる、そんなロマンを感じさせるのが、「沖に」の一句です。


普段、陸地から「ちょっと」しか離れず安全操業しているような者に、主イエスが「沖に()ぎ出しなさい」と声を掛けられた場面です(参照:申命記33:18-19、イザヤ書42:10)。あなたの人生には、「沖」・「深み」での働きがあるのだ、と主に言われたとき、あなたはどのようにお答えになるでしょうか。


ここで、「沖に()ぎ出して」信仰的なサプライズを体験した人として、パウロを例に取りましょう。パウロは、ペトロの後に登場した偉大な伝道者です。二人の間には交流がありました(使徒言行録15:1-21、ガラテヤ2:11-14)。パウロは、主イエスの命令「沖に漕ぎ出しなさい」を直接聞いたわけではありませんが、神の導きのもとに大海原に船出していったことがありました。それは、ルカ福音書⇒使徒言行録の系列に連なる出来事でした。


パウロがアジア(トルコ半島)で伝道していた時(第2回伝道旅行の際)、神の言葉を伝えることや伝道地を探し求めることに苦労していました。


使徒言行録16:6-10――


6 さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。7 ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。8 それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。9 その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。10 パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。


先行きの見えない暗夜を過ごしていた時、パウロは「こっちに来て、こっちに来て」という呼びかけを耳にしました。神の召しであると信じたがゆえに、(ただ)ちにトロアスの港から、沖に船出してゆきました。


「マケドニア」というのは、現代のギリシアの北部地方です。パウロたちがアジアからギリシア、すなわち、ヨーロッパに行くには、エーゲ海を渡らなければなりませんでした。しかし、パウロに示された一つの幻のもとに「わたしたち」は結束しました。パウロたちにとってもマケドニア人にとっても、それは神が起こされたサプライズでありました。大きな挫折という闇夜は、やがて夜が明ける、そのしるしにほかなりませんでした。


それでは、ルカ福音書5:1-11の物語において、何が実際に「沖」で起こったのか、何がサプライズだったのか、読んで確認してみましょう。


ルカ福音書5:5――  


シモン(ペトロ)は、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、(あみ)を降ろしてみましょう」と答えた。


ペトロはその湖で魚が取れやすいと言われる夜に漁をしましたが、一匹も取れずじまいでした。昨晩、不漁を経験したばかりのパウロにとって、「(あみ)を降ろし、漁をしなさい」との主イエスの命令は、どのように受け止められたのでしょうか?


ペトロは、漁師の知識や経験というものは所詮(しょせん)、素人には分かってもらえないと嘆いたでしょうか。「しかし、お言葉ですから」、言い換えれば、「しかし、あなたの一言(ひとこと)ですから」、ペトロはそこに()けました。自分の言い分を振り回しませんでした。ペトロは神の御言葉を聞き入れ、その通りに(おこな)いました。


ペトロが自分の戸惑いや不信に打ち勝ったというよりも、主イエスの大命令の力が彼の内に、信頼を呼び覚ましたのでしょう。


ルカ福音書5:7――


そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。


状景を解説すれば、イエス、ペトロ、アンデレの乗っている舟、その舟一そうでは、網で「おびただしい魚」(ルカ5:6)を()り上げられなかったので、ヤコブとヨハネの舟に助けてもらおうとした、が、二そう共、沈みそうになった、ということです。


神の恵みは世界に満ちあふれています。感謝です。私たちの貧しさや欠乏の中に、大逆転が起こります。ただしいつも、「沈みそうになる」という危険(堕落や貪欲という罪)と隣り合わせであることを忘れないように……。


ルカ福音書5:8――


これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。


この一節が、この度の伝道チラシに描かれた場面であり、中心聖句です。


今、主イエスとペトロは舟の中にいます。彼らの周りは魚だらけです。


そこで、ペトロは「主よ、わたしから離れてください」と叫びました。理屈の上では、狭い舟の中での会話ですから、一方が他方から離れることはできません。それでは、主イエスを舟の外に押しやることになります。


従って、ペトロはこの世の道理を超えて、主イエスと自分との関係において、(とっ)()に「離れてください」と発したのである、と分かります。その神と人との関係性は、「わたしは罪深い者なのです」とのペトロの告白によって明らかです。わたしはあなたにふさわしい者ではありません、ということです。


私たちは、神との関係を差し置いて、ただ自分が自分を(なが)めたとき、「自分はりっぱな人間だ」とか、「自分はいい人だ」とか、思うところがあります。そうした考えが正しいとか間違っているとか、言うのではありません。そこで問い直すべきことは、「あなたは自分の本当の姿を見ていますか」ということです。


主イエスとペトロの、舟の中での対話、沖すなわち深い所での出会いというものが、ペトロに「自分の本当の姿を見る」機会をつくり出しました。


ペトロは、主の命令を聞き、神の恵みを見たとき、自分が罪人であると知らされました。自分の小ささが分かりました。そして、自分が罪深い者であることに気づいたということは、神によって救い出されなければならない者であると知ったということです。


その時、目の前の主イエスは、「恐れることはない」(ルカ5:10)と言われました。本来ならば、主イエス・キリストは聖なるお方であり、ペトロは罪に汚れた者ですから、ペトロが恐れるのは当然です。しかし、そのペトロに、神の御子のほうから近づいて来られました。


主イエス・キリストは、罪人を罪から救い出すために、十字架につけられました。そのようなお方に、ペトロが出会った、これこそが唯一無二のサプライス(驚き)であったのです。


先に、「岸から少し漕ぎ出す」というのは、(たと)えて言えば、「教会に来る」ことです、とお話ししました。では、「沖に漕ぎ出す」とは一体、どういうことなのでしょうか?


それは、主の御前にひれ伏して、一人ひとりが主とお会いするということです。とても狭い舟の中で起こったのは、主イエス・キリストとシモン・ペトロとの真の出会いでした。その一そうの舟は、聖書的に言えば、ノアの箱舟、すなわち、教会をあらわしています(ヘブライ11:7、Ⅰペトロ3:20-21)。私たちはもはや逃げ出すことはできません。


ルカ福音書5:10――


シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」


「あなたは人間をとる漁師になる」は原文では、「あなたは人間を()()りにする者になるであろう」ということです。


舟に「()()」という箱形のものが付いていることがあります。()った魚を殺したり、さばいたりしないで、生かしておく保管場所です。主イエスはペトロに向かって、あくまでも「人間を生かす」(参照:ヨシュア記2:13)のが、あなたの使命なのだ、と宣言されました。


つまり、人への伝道に添って言えば、伝道とは、その人が本当に生かされるように、あるいは、もしその人が死んだような状態にあるならば、立ち上がり生き返るように、福音を宣べ伝えることです。


人は結局、罪人なのだから、そのままにしておこう、というでは「断じてない」(ローマ6:1-2,15)のです。そうではなく、誰かに伝道されたこの私がありのままの姿で、神の前に出で、まことのあるべき姿を示されるというのが、「()()り」にされるという真意です。その時、確かに、私は変えられます。ひとえに、恵みに生かされるようになります。


ルカ福音書5:11――


そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。


最初に、ルカ福音書5:1-11の物語を、朝の光の中で読むことを示唆いたしました。


そうして読んでみると、同じ朝の光景でも、初めと終わりは対照的です。


すなわち、初めは、「群衆がその(まわ)りに押し寄せて来た」ような騒然とした状態でした。人を押しのけることもあったかも知れません。しかし、この終わりには、静寂があります。羊飼いなる主イエスを先頭に、羊たちなるペトロやヤコブがつき従っています。ペトロたちは以前頼りにしていた「舟」を捨てました。十字架と復活の主、イエス・キリストこそが、「今から後」(ルカ5:10)、これからの人生の希望でした。


この物語の朝と同様に今朝も、主イエスは目を上げて、大勢の人をご覧になり、神の言葉を教えようとされています。それと同時に、魂への深い配慮をもって一人ひとりを救い出そうとされています。


主よ、子どもから高齢の方々に至るまで、その人生の中にあって、ガリラヤ湖畔の出来事が起こるものと信じさせてください。


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