礼拝、説教    次週の礼拝是非お出掛け下さい。

 

                                                   礼   拝

 

礼拝は、神と人との交わりの場、出会いの時です。み言と聖餐を通してキリストを受け、祈り、讃美、信仰告白、献金などを通して、みずからを神に献げます。私達の信仰と生活の原点がここにあります。

 

次週の礼拝 
          聖霊降臨節7主日礼拝

            ~講壇交換~

                        

  2019・7・21

(午前10時15分~11時30分)

 (*支障のない方はお立ち下さい)
招き                前奏
                * 招詞     詩編4編3節~4節

                * 頌栄           542

                * 主の祈り  

悔改め         * 讃美歌    30          

      * 交読文      29 詩編104編

神の言     旧約聖書  創世記1章1節~5節

            新約聖書      コリントの信徒への手紙一 1章4節~9節

                     祈祷
                 * 讃美歌       217          

説教              「神は光を見て、良しとされた

                  茅ケ崎教会 櫻井重宣牧師   

                     祈祷           
                 * 讃美歌    461 

            

感謝・献身        献金
                     報告
                 * 讃詠         545
祝福・派遣        祝祷
                     後奏

 

 

「神は光を見て、良しとされた」茅ヶ崎教会櫻井重宣牧師
創世記1章1節~5節
コリントの信徒への手紙一1章4節~9節
20190721説教.MP3
MP3 オーディオファイル 33.3 MB
「沖に漕ぎ出そう」
ルカによる福音書5章1節~11節
190714_001.MP3
MP3 オーディオファイル 30.1 MB
「聖にして正しく善なる律法」
出エジプト記20章17節
ローマの信徒への手紙7章7節~12節
190707_001.MP3
MP3 オーディオファイル 37.7 MB
「主の御声に聞き従う」
サムエル記上15章10節~23節
ヘブライ人への手紙10章5節~10節
190630_001.MP3
MP3 オーディオファイル 34.6 MB

説  教 (月報より)

 

 

                 5月説教

 

 

 

説教 三日目に死者の中から復活する  

 

復活日(イースター)

 

ルカによる福音書 24章36節~49節  

小河信一 牧師

 

 

 

イースターにあたり、ルカ福音書を通し、主イエス・キリストの復活を取りつぎます。

 

ルカ福音書1:3――

 

そこで、敬愛するテオフィロさま(「神に愛された者」の意。ユダヤ人か異邦人か不明。他に使徒1:1、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈(けんてい)するのがよいと思いました。

 

この福音書の著者は、ルカ福音書ならびに続編の使徒言行録というのは、「順序正しく」書かれた書物であると述べています。今日は、ルカ福音書24章を取り上げるのですが、読み進んでみると、正に「順序正しく」、主の復活の出来事が告知されていることが分かります。つまり、著者は最初に述べた記述の方針を最後に至るまで貫いている、と言えます。最後にまた、原点に立ち帰るような仕方で、主イエス・キリストの出来事を描き出しています。

 

それによって、私たちは福音というものを、順序正しく教えられ悟らされるように導かれます。そうして、福音理解が私たちの心に確固として()えられます。

 

ルカ福音書の著者は、「テオフィロさま、あなたに献呈(けんてい)する」と言っていますが、言い換えれば、私たち一人ひとりにこの「福音書」が献呈されているということではないでしょうか。(おそ)れ多くも罪人の(かしら)なる私自身に、無償でこの書物が提供されているのです。私たちはひれ伏して有り難く、その御言葉を受け取りたいと思います。

 

今、私たちにとって大切なことは、秩序立てられた「主の復活の出来事」への集中とその想起が、何を意味するのか、ということです。

 

そこで大切なのは、礼拝中心の生活が今ひと(たび)(ただ)されること、つまり、どこから礼拝が始まって、どのように日常生活に押し出されていくか、明確に教えられることです。その点で、ルカ福音書24:36-49「弟子たちに現れる」の段落には、主の「復活」によってすべて見渡せるようになった、その福音、私たちの信ずべきことが整理され凝縮しています。

 

それでは皆さんに、それらのことを箇条書きの形で説き明かします。果たして、箇条書きの一番から何番まで行くでしょうか?

 

①〈幕開き〉礼拝に向けての準備

 

ルカ24:36  こういうことを話していると

 

「こういうこと」とは、直前(ルカ24:30,34-35)に書かれているように、復活した主イエスがペトロに現れたことや二人の弟子(一人はクレオパ)がパン裂きされる主イエスを見たことなどです。すなわち、復活と聖餐というキリスト教の核心について語り合っていたのです。主が復活された直後の夜、エルサレムの或る家に、「十一人とその仲間が集まって」いた時(ルカ24:33)のことです。弟子たちは、「主は生きておられる。それこそ、私たちを立ち上がらせる力だ」ということを話していました。

 

私たちもまた、殊に土曜日の夜から日曜日の朝にかけて、弟子たちのそのような姿に(なら)いたいと願います。私たちは祈り、主日の聖書箇所を読み、主イエス・キリストによる救いの出来事を想起するのです。このような事前の備えをもって、礼拝に(つど)いましょう。すると……

 

②主イエス・キリストの到来・現臨

 

ルカ24:36 イエス御自身が彼らの真ん中に立ち

 

あなたがたに平和があるように」と言われた

 

ルカ24:39まさしくわたしだ。」

 

墓の中に寝かせられていた主イエス・キリストが「立った」と告げられています。

 

初めに置かれるべき二つの中心(②と④)の一つです。何からすべてが始まるかと言えば、主イエス・キリストのご臨在です。主が私たちを造り、主が私たちを救い、そして立ち上がって、今私たちの「真ん中」におられるということです。一時は暗黒に(おお)われた十字架の地・エルサレムで、主イエスはご自身を現されました。

 

礼拝式に則して言えば、最初にキリストが礼拝堂に入場されご臨在され、私たちを御前に招いてくださるということです。

 

「彼らの真ん中に立ち」と記されています。一方、私たちはどこが真ん中か分からず迷うことがあります。他方、(おご)り高ぶって自分が真ん中に立とうとすることがあります。しかしながら、「真ん中」は明確です。主イエス・キリストが立っておられるところです。御父と御子が遣わす聖霊が()って来て、「キリストの体」なる神の教会を建ててくださっています。

 

それ故に、私たちは誰でも公平に、真ん中におられる主イエス・キリストに近づくことができます。主イエスは近づいて来た子どもも、大人も、「平和があるように」との日常の挨拶をもって迎え入れてくださいます。主は、波立っている教会の上に、「平和」があるように祈られ、(なぎ)をもたらしてくださいます。

 

付け加えれば、少し先にある主イエス自らの言葉において、そのご臨在が宣言されています。それが、「まさしくわたしだ エゴー エイミ」(ルカ24:39)という言葉です。

 

ただ「わたしはいる」というのではありません。十字架につけられ、死にて葬られたイエス・キリストがよみがえらされて、「ここにいる、それこそわたしである」ということが重要なのです。

 

また、「まさしくわたしだ」・「このわたしがそれである」は、「わたしは、有って有る者」(出エジプト記3:14 口語訳)というモーセが出会った神の自己宣言に通じています。この神の現臨と言葉によって、モーセの召命が確かなものとされ、彼の新たな人生が始まりました。同様に、主イエス・キリストが私たちの真ん中に立っておられること、そして、「このわたしがそれである」と私たちに語りかけておられること、それが私たちの礼拝の基盤であり、私たちの人生の土台です。

 

この②主イエス・キリストの到来・現臨こそが、「順序正しく」ということの、実質的な最初です。

 

③主イエス・キリストからの、礼拝者への適確な語りかけ

 

ルカ24:38なぜ、うろたえているのかどうして心に疑いを起こすのか。」

 

これは、まことに有り難い主イエスの言葉です。

 

礼拝堂の(とびら)を通り越して、中に入って来たこの自分でありますが、まだ世の中のことに心引かれている、まだ罪の悔い改めが充分でない、そういう自分がつきまとって離れないことがあります。しかし、主イエスの側から、礼拝する者に声をかけてくださいます。主は私たちの立場になって、私たちの悩んでいる事や困っている事を捉えていてくださるのです。

 

「なぜ、うろたえているのか」の原意は、「なぜあなたがたはうろたえさせられるのか(かき乱されるのか・動揺させられるのか 受け身)」であり、また、「どうして心に疑いを起こすのか」の原意は、「どうして諸々(もろもろ)疑いがあなたがたの心に()き上がるのか」です。諸々の疑いが入って来たならば、個人の確信など()()()(じん)です。

 

つまり、人はいくら踏ん張っても「動揺させられる」こと、また、疑いが(おそ)い来て、それらに人は(あらが)い得ないことが、主イエスによって(かん)()されているのです。主イエスはそのような弱さを持つ私たちを叱責(しっせき)されるのではなく、私たちの弱さを(にな)おうとされています。主は、欠けや貧しさのただ中から私たちを立ち上がらせるお方です。

 

④復活の体があらわされる 

 

ルカ24:39わたしの手や足を見なさいまさしくわたしだ触ってよく見なさい。」

 

ルカ24:43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた

 

②と共に最重要な④では、ここに主イエス・キリストがおられること(現臨)が具体的に描かれています。私たちは、主イエス・キリストというお方について、そこに深いメッセージがあることを知らねばなりません。

 

端的に言えば、「イエスの(ふっ)(かつ)(たい)」ということが主題です。復活者として、主イエスは焼いた魚を食べられました。ベツレヘムでお生まれになった人の子がよみがえられて、つまり、「からだのよみがえり」(参照:使徒信条)を()げられて、今私たちの前におられるのです。

 

「イエスの(ふっ)(かつ)(たい)」を例示しましょう。

 

ヨハネ福音書20:19 イエス、弟子たちに現れる――

 

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていたそこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

 

確かに、上のような不可思議な(透明人間のような)業が復活以前の主イエスに出来なかったわけではありません(もし挙げるとすれば ルカ9:28-36「山上の変貌」)。しかしこれは、主が「(ふっ)(かつ)(たい)」をもって弟子たちに現れた記事として読むのが正当です。エマオでの食事中、突如、イエスの「姿が見えなくなった」(ルカ24:31)というのも、それを補強する報告です。K.H.レングストルフは「復活体」に関して、「イエスの肉体はこの世のそれとは違って、時間と空間から独立しており、自由に束縛されずに、それをまったく超越する」と述べています。

 

ベツレヘムでお生まれになり、十字架につけられた、そのお体とは異なる、というよりも、その十字架以前の「からだ」(いわゆる霊も心も体も含む)に神の霊、よみがえりの力が働いて新たにされた、それがイエス・キリストの「(ふっ)(かつ)(たい)」なのです(参照:Ⅰコリント15:44,46)。

 

従って私たちも終わりの時、よみがえさせられる時、イエス・キリストの「復活体」、神の霊が宿った「霊の体」に「似た者」となります。私たちの希望は、「御子が現れるとき、御子に似た者となる」(ヨハネの手紙 3:2)ことにあります。

 

説教後に執り行われる聖餐式において、私たちはイエス・キリストの「体」にあずかります。パンと(さかずき)は、十字架上で引き裂かれた主の肉と流された血をあらわすしるしです。私たちはそれを食べ飲みます。御子の十字架の死をアーメンをもって受け止め、その御子が「からだのよみがえり」を()げられたことにハレルヤと唱えるのです。

 

⑤旧約聖書の朗読

 

ルカ24:44 イエスは言われた。「わたしについてモーセのⅰ 律法とⅱ 預言者の書とⅲ 詩編(=ⅲ 諸書)に書いてある事柄は、必ずすべて実現する

 

これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」

 

本日の礼拝で読んだ旧約箇所は、下記の通りです。

 

ホセア書6:2

 

「二日の後、主は我々を生かし

 

三日目に、立ち上がらせてくださる。

 

我々は御前に生きる。」

 

主イエス・キリストのことが預言されている書物、あるいは、神の御前にある人間の幸いと災いとが描かれている物語・詩・讃美を読みなさい、聞きなさい、歌いなさい、ということです。

 

私たち人間の復活を示唆しているかに思えるホセア書6:2ですが、その前後関係(殊に6:4)から「偽りの悔い改め」の中の一節と見なされています。しかし、主なる神は、その告白の裏に誤った信仰を抱いている人間を見捨てるお方ではありません。神は、かたくなな態度を取り続けるこの世の人間に対し、預言者・王・祭司を送り、最後には御子を遣わしてくださいました。私たちは、御子イエス・キリストより私たちの罪が露わにされ、まことの悔い改めへと至らされます。

 

⑥心が開かれる――御言葉の悟りまたは信仰的理解のために

 

ルカ24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて

 

今、神の言葉が取り次がれている、説教の最中です。「難しい」とか、「聖書箇所の読み込みが足りなかった」とか、私たちのさまざまな思いが交錯(こうさく)しているでしょうか。

 

主イエスご自身が弟子たちの心(「目」は原文に無い追加)を切り開かれたと言います。彼らの目の前には、十字架と復活の主、イエス・キリストが立っておられます。そして、彼らの出会い目撃している主イエス・キリストが、彼らの信仰の中心に置かれ、彼らの信仰において生き続けるように、「聖書を悟らせる」のです。

 

あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす(ともしび)」との聖句(詩編119:105)が思い起こされます。まさに主イエス・キリストご自身が光となって、私たちの罪の闇を照らしてくださいます。こうして聖書を悟らされた者こそが、世の民に向かって福音を「順序正しく」明快に語り伝えることができるのです。それは、私たち自身の信仰を養うためであり、同時に隣人に伝道するためなのです。

 

⑦〈成就〉新約聖書の朗読――福音の中心が説教され、聴かれる。

 

ルカ24:46-47 46 イエスは言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。」

 

ここに、新約聖書の使信が凝縮されていると言ってよいでしょう。旧約・ホセア書6:2「二日の後…三日目に…」との句の成就を、「三日目に死者の中から」との出来事に見ることができます。

 

「聖書」に()りつつ、主イエス・キリストご自身が、私たちの信ずべきことを告げておられます。そのご生涯をたどりながら、私たちの()すべきことをも提示されています。

 

神の恵みの御業への応答として、私たちの()すべきことは、「罪の赦しを得させる悔い改め」であり、御名によってそれを宣べ伝えることです。

 

キリストに向き合い、充分に自分の罪を悟ったうえで、悔い改めなさい、と勧められています。そこで、感謝をもってキリストから罪の赦しを受けるのです。

 

⑧私たちの務め――応答としての奉仕

 

ルカ24:48あなたがたはこれらのことの証人となる。」

 

「十戒」や「主の祈り」がそうであるように、後ろのところ(⑦後半、⑧、⑩)で、人間の応答が出てきます。

 

ここでは、「証人となりなさい」と言われています。

 

こう命じられた「十一人とその仲間」(ルカ24:33)は、実際にイエスの死を目撃していた人(ルカ23:49)を含む、十字架の証人です。誰よりもイエスが死なれた、墓に葬られたという死の現実を見て知っている人々です。その彼らがよみがえられた主イエス・キリストに出会い、言葉をかけられたのです。証人と証人(例えばペトロとクレオパ)とが集まって、その十字架と復活の出来事全体を受け止めました。彼らが確かに信じられるように、主イエスは「彼らに息を吹きかけ」、「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20:22 次の⑨を参照のこと)と告げたのです。

 

神なる主イエスの御言葉によって、死からの復活の証人の群れが誕生しました。今、私たちに求められているのは、その証人の群れ、言い換えれば、初代の教会に連なり、自分たちが証人になることです。聖霊の力を与えられて、あらゆる国の人々に宣べ伝えるのです。「わたしの歩みを照らす(ともしび)」のもとに旧新約聖書を読み、死を恐れないほどの証人(「殉教者」という意味を併せ持つ)にならせていただくのです。

 

⑨〈約束〉聖霊の注ぎ――日々、私たちを助けるお方

 

ルカ24:49わたし(イエス)は、父が約束されたものをあなたがたに送る

 

高い所からの力に(おお)われるまでは、都にとどまっていなさい。」

 

初代教会の信仰者や私たちが証人となることにおいて、「高い所からの力」が(くだ)る、それ故にしばらくの時、待て、と言われます。「高い所からの力」、すなわち、聖霊が注がれることによって、私たちはまことの証人となります。聖霊は、教会を中心とする信徒の交わりと私たちの日常生活を支えてくださいます。

 

ルカ福音書24:36-49本文に従えば、①~⑨、以上で終わりです。しかし、①~⑨を通じ、主の復活の出来事を告知された私たちがここにおります

 

⑩私たちの「聖霊行伝」――使徒言行録29〈増補〉「茅ヶ崎香川で宣教する」

 

 「十一人とその仲間」がエルサレムで聖霊降臨〈神の約束の成就〉を待っていたように、私たちもまた、ここでキリストが再臨される終わりの日を待っています。終わりの日を心に刻みながら、私たちには今、果たすべき使命があります。

 

 私たちは礼拝と祈りの日々を送っていきます。信仰が継承されていくように祈っています。それはまさに、私たちの「聖霊行伝」、聖霊に導かれる私たちの日々、そして、新たに書き加えられる「神への報告」です。書き(そん)じてはならないことです。

 

 私たちもまた、主が再臨される時に至るまで、イエス・キリストの証人としてならせていただきましょう。とりわけ、イエス・キリストが死にて葬られ、三日目によみがえられたことを宣べ伝える証人となるのです。このように、私たちは喜びの福音にあずからせていただいております。

 

 

 

      

 

()( 

()

 

()

 

()()

 

()()()()

 

()

 

()()

 

()

 

()

()

 

()()()()()

 

 

()

 

 

()()() 

()( 

()()()()

 

()()()()

()()

 

()()()()(

 

()()()

 

() 

()()()()()

 

 

( 

() 

()

 

()()()()

()( 

()

 

()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.1説教
月報 2019年01月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 305.9 KB
2018.12説教
月報 2018年12月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 321.5 KB
2018.11説教
月報 2018年11月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 312.4 KB
2018.10説教
月報 2018年10月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 285.5 KB
2018.09説教
2018年9月説教.pdf
PDFファイル 298.2 KB
2018.08説教
月報 2018年08月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 309.5 KB
2018.07説教
月報 2018年07月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 320.8 KB
2018.06説教
月報 2018年06月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 327.5 KB
2018.05説教
月報 2018年05月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 304.3 KB
2018.04説教
201804説教.pdf
PDFファイル 338.3 KB
2018.03説教
月報 2018年03月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 327.6 KB
2018.02説教
月報 2018年02月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 299.9 KB
2018.01説教
月報 2018年01月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 418.6 KB
2017.12月説教
2017.12説教.pdf
PDFファイル 277.4 KB
2017.11月説教
月報 2017年11月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 371.3 KB
2017.10月説教
月報 2017年10月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 353.8 KB
2017.9月説教
月報 2017年09月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 288.8 KB
2017.8月説教
月報 2017年08月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 326.2 KB
2017.7月説教
月報 2017年07月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 345.6 KB
2017.6月説教
月報 2017年06月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 349.3 KB
2017.5月説教
2017年05月説教.pdf
PDFファイル 351.6 KB
2017.4説教
2017年04月 説教.pdf
PDFファイル 369.8 KB
2017.3説教
月報 2017年03月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 337.7 KB
2017.2説教
月報 2017年02月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 331.8 KB
2017.1説教
月報 2017年1月茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 286.3 KB
2016.12説教
月報 2016年12月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 332.6 KB
2016.11説教
月報 2016年11月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 337.3 KB
2016.10説教
月報 2016年10月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 345.9 KB
2016.9説教
月報 2016年09月 茅ヶ崎香川教会.pdf
PDFファイル 378.5 KB
2016.8説教
2016.8説教.pdf
PDFファイル 181.0 KB
2016.7説教
2016.7説教.pdf
PDFファイル 196.2 KB
2016.6説教
2016.6説教.pdf
PDFファイル 182.8 KB
2016.5説教
2016.5説教.pdf
PDFファイル 191.8 KB
2016.4説教.pdf
PDFファイル 180.8 KB
2016.3説教
2016.3説教.pdf
PDFファイル 118.3 KB
2016.2説教
2016.2説教.pdf
PDFファイル 147.3 KB
2016.1説教
2016.1 説教.pdf
PDFファイル 134.8 KB
2015.12説教
2015.12説教.pdf
PDFファイル 131.9 KB
2015.11説教
2015.11説教.pdf
PDFファイル 133.3 KB
2015.10説教.pdf
PDFファイル 139.2 KB
2015.9説教.pdf
PDFファイル 132.2 KB
2015.8説教.pdf
PDFファイル 195.3 KB
2015.7説教.pdf
PDFファイル 183.3 KB
2015.6説教.pdf
PDFファイル 204.9 KB
2015.5説教.pdf
PDFファイル 168.3 KB
2015.4説教.pdf
PDFファイル 176.7 KB
2015.3説教.pdf
PDFファイル 159.3 KB
2015.2説教.pdf
PDFファイル 208.3 KB
2015.1説教  .pdf
PDFファイル 215.2 KB
2014.12説教.pdf
PDFファイル 181.8 KB
2014.11説教.pdf
PDFファイル 207.2 KB
2014.10説教.pdf
PDFファイル 224.3 KB
2014.9説教 .pdf
PDFファイル 181.5 KB
2014.8説教.pdf
PDFファイル 191.2 KB
2014.7説教.pdf
PDFファイル 170.5 KB
2014.6説教.pdf
PDFファイル 155.1 KB
2014.5説教.pdf
PDFファイル 171.2 KB
2014.4説教.pdf
PDFファイル 182.2 KB
2014.3説教 .pdf
PDFファイル 212.5 KB
2014.2説教.pdf
PDFファイル 190.1 KB
2014.1説教.pdf
PDFファイル 158.4 KB
2013.12説教.pdf
PDFファイル 179.2 KB
2013.11説教.pdf
PDFファイル 141.6 KB
2013.10説教.pdf
PDFファイル 133.8 KB
2013.9説教.pdf
PDFファイル 165.4 KB
2013.8説教.pdf
PDFファイル 152.6 KB
2013.7説教.pdf
PDFファイル 180.2 KB
2013.6説教.pdf
PDFファイル 242.9 KB
2013.5説教.pdf
PDFファイル 199.0 KB

What's New

礼拝  7/14更新

 

 

説教  7/14更新

 


教会学校 8/30更新