礼拝、説教    次週の礼拝是非お出掛け下さい。

 

                                                   礼   拝

 

礼拝は、神と人との交わりの場、出会いの時です。み言と聖餐を通してキリストを受け、祈り、讃美、信仰告白、献金などを通して、みずからを神に献げます。私達の信仰と生活の原点がここにあります。

 

次週の礼拝 
               降誕節第9主日礼拝            

                                

            

  

    2019・2・24

(午前10時15分~11時30分)

 (*支障のない方はお立ち下さい)
招き                前奏
                * 招詞     詩編133編1節

                * 頌栄           544

                * 主の祈り  

悔改め         * 讃美歌    Ⅱ-175          

      * 交読文      10 詩編29編

神の言           旧約聖書  ヨシュア記3章1節~17節

            新約聖書      使徒言行録7章44節~45節

                     祈祷
                 * 讃美歌       268            

説教              「深い河を超えて」

                     小河信一牧師    

                     祈祷           
                 * 讃美歌    294

    

                 * 使徒信条

感謝・献身        献金
                     報告
                 * 讃詠        546
祝福・派遣        祝祷
                     後奏

 

 

礼拝説教

 

「捕らわれ殺されるメシア」
ヨハネによる福音書7章25節~31節
哀歌4章20節
20190217説教.MP3
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「さあ、イエスさまを迎えよう」
マルコによる福音書11章1節~11節
20190210説教.MP3
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「罪の中にとどまるべきか」
エレミヤ書4章14節
ローマの信徒への手紙6章1節~4節
20190203説教.MP3
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「山頂から見渡すモーセ」
申命記34章1節~12節
ヘブライ人への手紙11章13節~16節
20190127説教.MP3
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説  教 (月報より)

 

 

 

1月説教

胎内の子は喜んでおどった

 

ルカによる福音書 1章39節~45節    

               小河信一 牧師

 

 

 

本日、聖書の主要な登場人物は、ハンナ、マリア、そしてエリサベト、とすべて女性です。旧約の時代、王国樹立以前の古代(イエス誕生のおよそ一千年前)に生きた一人の女性、ハンナによって一つの(ともしび)がともされました(詩編132:17)。そのハンナの(ともしび)が、アドベント・クランツの二本のろうそくに火がともされた今日(待降節第2主日)、新しい時代の幕開けを告げるマリアとその親戚・エリサベト、二人の女性によって受け継がれていきます。

 

アドベント・クランツにともされた二つの(ともしび)のもとで、マリアとエリサベトの魂に宿った信仰の光を、静かに見つめることにしましょう。

 

最初に、ハンナのお話しを致します。

 

ハンナは泣き悲しむ女であった(サムエル記上1:10)と同時に、主の御前に心からの願いを注ぎ出して祈る女でありました(同上1:15)。

 

詩編50:15――

 

それから、わたし(神)を呼ぶがよい。

 

苦難の日、わたしはお前を救おう。

 

そのことによって 

 

お前はわたしの栄光を輝かすであろう。

 

ハンナ自身、深い悩みの淵(サムエル記上1:6,15)にあって、神によりすがりました。では、なぜハンナは泣き悲しんでいたのでしょうか?

 

ハンナの非常に悲惨な状況は、今クリスマスを迎えようとしている現代の私たちの世にも通じるものがあります。

 

サムエル記上1:7――

 

毎年このようにして、ハンナが(シロの)主の家に上るたびに、彼女はペニナ(エルカナには二人の妻、ハンナとペニナがいた)のことで苦しんだ。今度もハンナは泣いて、何も食べようとしなかった。

 

エルカナの一族は、毎年一度の(ということは最大のとも言える)祭りごとに巡礼していました。厳粛な思いでいけにえを、つまり、感謝をささげる時であり、また、みなが最も楽しみにしている日でありました。

 

エルカナの一方の妻ペニナには、「息子たちと娘たち」(サムエル記上1:4)がいました。いずれも複数形で記載されていますから、男児2名以上および女児2名以上、合計4名以上の子どもたちに、ペニナは囲まれていました。もう一方の妻ハンナには子どもがありませんでした(同上1:2)。その理由は、「主がハンナの胎を閉ざしておられた」(同上1:5)と言います。

 

その上、「彼女を敵と見るペニナは、主が子供をお授けにならないことでハンナを思い悩ませ、苦しめた」と言いますから、ハンナが涙を流すのは当然でありましょう。夫エルカナはハンナを「愛していた」(サムエル記上1:5)とありますが、それならば、何故、愛する妻の悩みを聞こうとしなかったのか(同上1:8は夫側の自己中心的な言い分か?)、また、二人の妻の間に立って仲裁しなかったのか、不思議です。ハンナの暗澹(あんたん)たる思いがしのばれます。

 

万軍の主を礼拝し、いけにえをささげた(サムエル記上1:3)後に、いよいよ、「いけにえの食事」の会が催されます。ペニナの席周辺からは、無邪気な子どもたちの歓声が上がっていたことでしょう。「祭司エリは主の神殿の柱に近い席に着いていた」(同上1:9)と言いますから、彼は「テーブルマスター」として職務遂行に余念が無かったようです。

 

ほんとうの祭り・祝会とは、いったいどのようなものなのでしょう。一年に一度の祝いの時、そこでこそ、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」との主イエスの掟(マタイ22:37-39)が中心に据えられる、それが最重要なことではないでしょうか。

 

サムエル記上1:9――

 

さて、シロでのいけにえの食事が終わり、ハンナは立ち上がった。

 

この箇所の「立ち上がった」(ヘブライ語:ヴァターコム 他にルツ記1:6 ナオミの故郷への帰還について)には、新約の「タリタ、クム」(少女よ、起きなさい マルコ5:41)のクムと同じ動詞が使われています。つまり、死んだような状況(マルコ5:35)から「起き上がった」ということです。

 

ハンナは押しつぶされそうな事態のただ中、ひとり「立ち上がった」のです。このひとりの女の立ち上がりは、神の救いの歴史の一端を担うものでありました。まさに、そこで歴史が動き始めたのです。それは、預言者サムエルの誕生、()いては王ダビデの統治に通じる起点とも言える時でありました。

 

ハンナは立ち上がって、ペニナでもエルカナでも、またエリでもなく、主の御前に進み出ました。ペニナやエルカナに詰め寄って、日頃のうっぷんを晴らすということはありませんでした。

 

サムエル記上1:10-11――

 

10 ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。11 そして、誓いを立てて言った。「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」

 

「万軍の主よ」と、ハンナは神に訴えました。「男の子を…その子の一生を…」、それは、ハンナの思い描く幸せな将来プランであったかも知れません。しかし、大切なことは、ハンナがそのことを神に打ち明けたということです。そこに、一つの(ともしび)が輝き始めたのではないでしょうか。

 

ハンナは「はしための苦しみを御覧ください」と、自分を「はしため」と称しています(サムエル記上1:11,16)。マリアが不安や当惑の中で、「わたしは主のはしためです」(ルカ1:38)と言い切った、その信仰と軌を一にしています。

 

ここで、旧約のハンナと新約のエリサベトならびにマリアの関係を整理しておきましょう。

 

ハンナとエリサベトとは、「不妊の女」(サムエル記上1:5、ルカ1:7)であるというつらさを共有しています。実際、アロン家(祭司の一族)の娘エリサベトは、ハンナやサラ(創世記16:217:17)の、子どもになかなか恵まれなかったという物語を伝え聞いていたことでしょう。

 

そして、ハンナとマリアとは、神の招きによって女ひとり「立ち上がった」という点が共通しています。そこから、神の救いの歴史が動き始めました。殊にマリアの場合、最大で無二の神の救いが現れる、その初めの一幕において、聖霊に満たされ、与えられた務めを全うしました。

 

さらに言えばマリアは、神の言葉の第一声、「おめでとう、恵まれた方よ(=恵みを受けた女よ)」(ルカ1:28)との告知を耳にしました。実は、ヘブライ語名ハンナの意味は「恵み」なのです。ここに、ハンナのように、神からの「恵み」に感謝し、生まれてくる「その子の一生を主におささげしなさい」というメッセージを汲み取ることができるのではないでしょうか。

 

神がハンナを憐れんで下さったその「恵み」は、私たちの予測をはるかに超える形で、「恵みを受けた女」なるマリアを通してもたらされました。

 

ルカ福音書1:39――

 

そのころ、(しかして)マリアは出かけて、急いで山里(やまざと)に向かい、ユダの町に行った。

 

「出かけて」は原文では「立ち上がって」です。立ち上がって、旅に出たということを意訳して「出かけて」とされたのでしょう。

 

前段では、天使ガブリエルがナザレの町に神から遣わされ、マリアと対話しました。マリアは、文字通り「恵みを受けた女」として、御言葉に耳を傾けました。その際、彼女はその御告げに戸惑い考え込みもしましたし、疑念を天使に問い返したりもしました。しかしいずれにしても、天使が去って行くまで、マリアはじっとこの出来事と御言葉について思い巡らしたのです(ルカ1:26-38)。

 

ところが次の場面で、「しかしてマリアは立ち上がって」と急転しています。この「立ち上がる」は、ルカ24:7,46などでは「よみがえる」という意味で使われている、重い言葉です。

 

女ひとり立つ、ここでマリアは行動する女になりました。ヤコブの手紙2:14の「わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか」と言う通りです。マリアは、「受胎告知」の出来事を心に抱きつつ、危険の伴う旅に出たのです。「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている」(ルカ1:36)との御告げに、(わら)にもすがる思いで、エリサベトの住む山里めざして、子を宿したマリアは急いだのでしょうか。

 

この説教後に、讃美歌Ⅱ編-124番「マリヤは歩みぬ」という歌を讃美します。これは、中世末期に作られたドイツ・カロルで、もともと聖地巡礼の歌であったと言われています。

 

原詞・ドイツ語を訳すと――

 

マリヤはいばらの森を歩いていた

 

キリエ エレイソン

 

七年の間、葉もつけない森を

 

イエスとマリヤよ

 

マリヤが心の内に宿していたのは何?

 

キリエ エレイソン

 

幼い子を、痛みもなく

 

マリアは心の内に宿していた

 

イエスとマリヤよ

 

個人的な見解ですが、「マリヤはいばらの森を歩いていた」というのは、聖書の中では、マリアのエリサベト訪問の旅に合うように思います。神秘的な詩と哀調を帯びた曲の中で、マリヤが(りん)として「歩いていた」ことが基調になっています。そして歌詞は、「その幼い子が森を通り過ぎていった、その時、いばらは花をつけた」というように、主イエスの十字架を暗示しつつ()(くく)られています。

 

もちろん、マリアの行動力が賞賛されるわけではありません。神のご計画の成就をひたすらに信じて、マリアは立ち上がり歩いて行った、そこには豊かな聖霊の導きと神の見守りがあったのです。

 

ルカ福音書1:41――

 

マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内(たいない)の子がおどった。

 

後に洗礼者ヨハネとなる胎児が「おどった」、すなわち、スキップした、と書かれています。胎内の子が跳びはねるほどに、ということは、子も母も喜びに満たされたということでしょう。このように、主イエス・キリストを喜ぶということが、人生の基盤に据えられた人は幸いです。

 

「マリアの挨拶」について詳細は記されていませんが、ただ「シャローム(平安あれ)、こんにちは」のみならず、マリアの経験した受胎告知がその内実であったことは確かでしょう。そうだとすれば、胎児が「おどった」のは、神の子イエスによる救い、福音を聞いたから、ということになります。

 

マリアは「自分としていぶかしく、不思議に思うところはありますけれど、神の言葉を受け入れ、それが出来事となって実現することを信じております」とエリサベトに伝えたのです。その点で、マリアは最初の福音宣教者でありました。その喜びの知らせを、エリサベトは「胎内の子がおどった」ほどに真剣に受け止めました。ハンナと同じような悲しみを背負って(ルカ1:7)生きてきた女が今や、「わたしの主のお母さま」(ルカ1:43)に出会い、心(おど)ったのであります。

 

胎内に宿った子を大切に育てよう……エリサベトの人生は大きく転換しました。

 

この転換をもたらしたエリサベトとマリアの出会いは、まだ母の胎にいるヨハネとイエスの出会いでもありました。ここにおいて、ヨハネとイエスは、片や先立って道を整える者、片や待望されるべきお方として、一筋の道を歩み始めたのです。

 

年上であるにもかかわらず、マリアの前にへりくだっているエリサベトの姿勢(ルカ1:43)は、「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物(はきもの)のひもを解く資格もない」(ヨハネ1:27)との彼女の子、ヨハネの言葉を先取りするものです。

 

ルカ福音書1:41後半-42――

 

41 エリサベトは聖霊に満たされて、42 声高らかに(メガトン級の叫び声で)言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。」

 

エリサベトの心は、自分自身にではなく、福音を告げてくれたマリア、そして胎内のイエスに向けられています。「母なるマリアよ、あなたは女の中で祝福された方です」と叫び、その上で、「胎内のお子さま、イエス・キリストも祝福されています」とほめたたえました。エリサベトは聖霊の注ぎのうちに、「二人はまことに祝福されています」と、歓喜の声を上げたのです。これぞ、マリアの伝達した喜びの知らせ、福音への的確な応答と言えましょう。

 

さて、本日の説教を、信仰告白、御言葉の傾聴、そして御言葉への服従という観点からまとめたいと思います。

 

ルカ福音書1:43-45 エリサベトは声高らかに言った(続き)――

 

43「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

 

ここに、マリアの「わたしはのはしためです」(ルカ1:37)と響き合う形で、エリサベトは「わたしの主のお母さま」、すなわち、イエスがである、と信仰告白しています。彼女は、マリアの胎内に救い主がおられるという具体的な出来事を、信仰をもって受け止めたのです。聖霊が(くだ)った中での出来事(ルカ1:35,41)であるという点も、マリアとエリサベトに共通しています。

 

「わたしは年老いた女で、出産・子育ての不安もありますが、すべてを主の御手におゆだねします」というエリサベトの信仰は、使徒信条「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず」との一節に引き継がれています。

 

「我らの主」、イエス・キリストに対し、私たちはその「(しもべ)」・「はしため」であります。主は「良い羊飼い」、私たちはその「羊」です(ヨハネ10:11)。私たちは生きている時も死ぬ時も、「我らの主」に愛され養われることを信じます。それが、マリアとエリサベトの交わりの中に(はぐく)まれた信仰告白です。

 

そして、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた」という句には、御言葉の傾聴と御言葉への服従とが明示されています。

 

第一に、「主がおっしゃったこと」を、その通りに神の言葉として聞くことが、御言葉の傾聴です。第二に、「(主の言葉が)必ず実現する」とは、神の言葉が「この身になります」(ルカ1:38)、健やかな時も病める時も「万事が益となって必ず実現します」というのが、御言葉への服従です。

 

エリサベトは、「……と信じた方は、なんと幸いでしょう」と、マリアに向かって叫びました。それは同時に、「私もまた、その幸いなる信仰に生きる者となります」というエリサベトの宣言であったことでしょう。

 

聖霊の導きによって、「イエスは主なり」と告白することが私たちの信仰の中心となりますように、そして御言葉に傾聴し、その御言葉が出来事となって成し遂げられますように、と主にお祈りしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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