礼拝、説教    次週の礼拝是非お出掛け下さい。

 

                                                   礼   拝

 

礼拝は、神と人との交わりの場、出会いの時です。み言と聖餐を通してキリストを受け、祈り、讃美、信仰告白、献金などを通して、みずからを神に献げます。私達の信仰と生活の原点がここにあります。

 

次週の礼拝 
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    2018・12・16(午前10時15分~11時30分)

 (*支障のない方はお立ち下さい)
招き                前奏
                * 招詞     詩編123編1節~2節

                * 頌栄           542

                * 主の祈り  

悔改め         * 讃美歌    96          

      * 交読文       1 詩編1編

神の言           旧約聖書  詩編80編15節~20節

            新約聖書      ルカによる福音書1章57節~66節

                     祈祷
                 * 讃美歌       218            

説教              「この子には主の御手が置かれていた」

                         小河信一牧師    

                     祈祷           
                 * 讃美歌    212

    

                 * 使徒信条

感謝・献身        献金
                     報告
                 * 讃詠        546
祝福・派遣        祝祷
                     後奏

 

 

礼拝説教

 

「胎内の子は喜んでおどった」
ルカによる福音書1章39節~45節
サムエル記上1章9節~11節
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「いと高き方の子と言われる」
ルカによる福音書1章26節~38節
詩編132編10節~12節
20181202説教.MP3
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「主の口より出づる全ての言葉によって生きる」
申命記8章1節~20節
マタイによる福音書4章4節
20181125説教.MP3
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「いつも大きな心で」
ルカによる福音書12章13節~21節
詩編39編7節
20181118説教.MP3
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説  教 (月報より)

 

 

11月説教

ヨシュアを力づけ、励ましなさい

 

 

               申命記 23節~29節     小河信一 牧師

 

 

 

本日は、旧約聖書の講解説教の続きです。前回は、民数記22:22-30により、「ふさがれて立ち止まり、そして進む」という題で説教いたしました。主人公は、異邦人の霊的な預言者バラムであり、荒れ野を旅しているイスラエルの礼拝共同体を取り囲んでいた異邦人の物語でありました。バラムは、モアブの王・バラクのそそのかし(民数記22:6,1723:13,27)により、イスラエルに呪いをかけそうになりましたが、バラムのつき従う神の介入により中止させられました(民数記24:13)。そして、バラムはイスラエルの民に敵対する者に向かって、その民が神の祝福にあずかっていることを告げ知らせました(民数記23:20)。

 

そこから汲み取られるメッセージとして、私たち・茅ヶ崎香川教会も礼拝共同体としてこの世を歩んでいますが、外国や異邦人の世界で起こっている事柄も、すべて神の支配の下にあるものとして、私たちもまた、時に「立ち止まり」、神の真実に目を開かれたい、と語りました。

 

言うまでもなく、外で起こっていることは、キリスト教世界と無縁ではありません。「荒れ野の旅路」の異邦人にまつわる(そう)()は、異文化、諸外国、引いては他宗教などの上にも、神の御力の働きがあるということを物語っています。

 

このように前回は、指導者モーセはじめイスラエル人に、信仰のまなざしを自分たちの世界の外側に広げることが求められていました。今回、神から指導者モーセに提示された命題は、新しい世代の育成あるいは祝福です。このこともまた、自分の土俵、今ここで、ということに振り回されていては、しっかりと取り組めません。

 

本日の旧新約聖書箇所を貫くテーマは、一言でいえば、とりなしの祈りです。兄弟姉妹のために祈る、あるいは、自分自身のように隣人を愛する、ということです。

 

荒れ野の40年の旅路が、やがて終わろうとしている、そのような時また場所のことです(申命記1:3,5 約束の地に近い)。今の時を、主にあって精一杯生きると共に、将来に向けて、来たるべきことについて準備をしていくことが求められています。今、私たちは天に宝を積み、主にあって子どもたちの将来が開かれていくよう、その備えをしたいと思います。

 

申命記3:23――

 

わたし(モーセ)は、そのとき主に祈り求めた。

 

「祈り求めた」は、「嘆願した」・「懇願した」とも訳せます。確かに、以下の祈りの言葉の中で、モーセの強い願いが表されています。

 

神に是非とも聞いていただきたいという、その願いが「祈り」であったといことは、とても大切です。モーセは神に向かって、自分の心からの希望を述べています。しかし、これは単なる自己主張ではなく、神にすべてをゆだねる「祈り」でありました。「神よ、お聞きください。あなたの御心をお示しください」ということを念頭に、モーセは神に自分の願いを打ち明けたのです。

 

申命記3:24――

 

「わが主なる神よ、あなたは(しもべ)であるわたしにあなたの大いなること、力強い働きを示し始められました。あなたのように力ある業をなしうる神が、この天と地のどこにありましょうか。」

 

モーセは神に祈り始めました。最後の「どこにありましょうか」は反語的な疑問文で、「いや決してどこにもおられない」という意味です。つまり、これは、自分の信じる神を言い表したモーセの信仰告白と言えます。自分の「願い」から入ってはいません。御名の栄光を(あが)めること、神の偉大さを讃美することが第一なのです。

 

「力強い働きを示し始められました」との対応において、「力ある業をなしうる」の最後の動詞を「成し遂げる」と意訳すれば、神は初めから終わりまで「力強い働き」をもって、私たちを導いているということが分かります。モーセは謙虚に自分を神の「(しもべ)」と告白しつつ、壮大なる、初めから終わりまでの神の「力ある業」をほめたたえています。

 

ここで、神の力強い働きの初めは一般には、天地創造を指していますが、モーセの人生から言えば、ナイル川から引き上げられた赤子の時(出エジプト記2:5)、あるいは、神の御名においてエジプトに派遣された時(出エジプト記3:10)と見られるでしょう。いずれにせよ、根本的なところ、源に、「神の力強い働き」があったということが重要なのです。

 

初めに土台を据えられた神は、将来に至るまで、終わりの時まで、「力ある業」を現して成し遂げるお方なのです。イスラエルの民には、神が荒れ野の旅の起点から終点まで導かれることを、信じるかどうか、が問われています。モーセはアルファでありオメガである神(ヨハネ黙示録1:8)に、全幅の信頼を置いています。その上で、モーセはいよいよ自分の願いを表明します。

 

申命記3:25――

 

「どうか、わたしにも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください。」

 

「どうか、わたしにも渡って行かせ(てください)」という動詞の「渡る」・「越える」は、申命記3:18,21,25,27,28と頻出していることから分かるとおり、喫緊(きっきん)の課題です。すなわち、ヨルダン渡河(とか)の成し遂げられる日が目前に迫っています。「良い(原語:ハトヴァー)土地、美しい(ハトヴ)山」の繰り返しの中にも、モーセのあこがれが(しの)ばれます。

 

モーセは出エジプトの立役者です。紅海()(しょう)からヨルダン渡河(とか)へ、モーセは当然自分の担うべき責務と考えていたことでしょう。約束の地に、仲間や子どもたちと共に入りたいと切望していたのです。

 

当然の願いを、しかしながら、祈りの中で、モーセは神に訴えました。

 

この説教後に歌う讃美歌は、Ⅰ編310番です。この歌詞は、モーセの経験を下敷きにしています。その3節――

 

 しずけきいのりの ときはいとたのし  

 

 そびゆるピスガの 山のたかねより

 

 ふるさとながめて のぼりゆく日まで                     

 

「祈る」こと、「眺める」ことは、申命記3:23および3:2734:1-4でそれぞれ実行されていますが、果たして、モーセにおいて、ヨルダン川を越えて、カナンの地に「のぼりゆく」ことは全うできたのでしょうか(もちろん、「のぼりゆく」の深意は天の国に入れられることですが……)。

 

申命記3:26――

 

しかし主は、あなたたちのゆえにわたしに向かって(いきどお)り、祈りを聞こうとされなかった。主はわたしに言われた。「もうよい。この事を二度と口にしてはならない。」

 

「あなたたちのゆえに」は注目すべき一句です。すなわち、イスラエルの民が犯した罪に対する怒りが、神の燃える裁きの炭火が、モーセの頭の上に注がれたのです。

 

確かに、荒れ野で水を出すために、モーセが二度岩を打ったこと、それ故に、神の聖なることを示さなかったこと(民数記20:11,12)、それらの点で彼の罪が暴かれました。モーセも罪人です。しかし、ここでの強調点は、「わたし自身(モーセ)のゆえに」ではなく、「あなたたちのゆえに」、モーセは裁きを身に引き受ける「(しもべ)」となった、ということにあります。偶像を拝んだり神や隣人に(かたく)なであったり、というイスラエルの罪を背負いなさい……それが、神の御心でした。モーセにおいて、紅海()(しょう)からヨルダン渡河(とか)へ、という人生設計は断念せざるを得ませんでした。

 

厳しい事態に直面させられたモーセに、神は慰めに満ちた言葉で語りかけました。

 

冷たくも響く「もうよい(止めよ)」(原語:ラヴ ラフ)の原意は、「あなたには大きい」で、「十分。よくやった」または「あなたは満ち足りている」という含蓄が汲み取られます。主にあって働いた、民を導いた、そして祈った、だから、もう十分、神の計画に関して、あなたはやり残したことがある、と悔いることはない、ということです。

 

申命記3:27――

 

ピスガの頂上に登り、東西南北を見渡す(目を上げる)のだ。お前はこのヨルダン川を渡って行けないのだから、自分の目でよく見ておくがよい。

 

神は、ヨルダン川を越えさせることは(こば)まれましたが、モーセに「目を上げる」よう命じられました。「東西南北」は原文では、西→北→南→東の順になっています。

 

神はまず、モーセが渡って行きたいと願っている西を見させました。次に、北、それから、これまで歩んで来た南、そして最後に、日が昇る方角である東を眺めさせました。主は、西・北・南・東、すべてを支配される、天と地の神です。

 

神に導かれ、ピスガの頂上に登ったモーセを先達として、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ人への手紙11:1)との御言葉を心に刻みたいと願います。

 

申命記3:28――

 

「ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう。」

 

若い世代、新しいリーダーを育成することは、時間がかかるものです。

 

ヨシュアがカレブと共にカナン偵察し行く前(民数記13章)、また、モーセから新指導者になるよう按手(あんしゅ)(手を置くこと)を受ける前(申命記34:9)、そのずっと前に、ヨシュアの様子を捉えていた、こんな記事があります。

 

出エジプト記33:11――

 

主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。モーセは宿営に戻ったが、彼の従者である若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかった。

 

時まさに、イスラエルの民が悔い改めをもって、モーセを通し、神から十戒を再授与される前夜のことでした。民全員が起立して、礼拝した時です(出エジプト記33:10)。成人が悔い改め、神の前にひれ伏した、その霊的な時と場所において、次の時代を担う若者が生み出されたのです。

 

ヨシュアが幕屋から離れなかったように、茅ヶ崎香川教会から「離れない」子どもたちがいる……それは何とすばらしいことでしょう。

 

「彼を力づけ、励ましなさい」と、言葉が重ねられています。忍耐強く、そうするよう命じられています。

 

霊的に成熟した指導者、モーセは、人と人の間に立つとりなし手として十分に働くことができたのでしょうか。モーセが人を励ます、すなわち、苦しんでいる人や弱っている人に声をかけ、寄り添うという時に思い出すのは、モーセの(聖書に記録されている上での)最初の罪とその過ちゆえの逃走です。

 

出エジプト記2:11-14――

 

11 モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。12 モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。13 翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、14 「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。

 

一言でいえば、お前のような罪人に、仲裁など受けたくない、ということです。人と人との間に立つ人間として、失格だということです。「成人したころのこと」、過去のことを言えば、それまでですが、モーセにとってそれは(ぬぐ)い難い出来事だったでありましょう。

 

神が、人生の終わりに、モーセに託されたのは、神の御心に添って人を育成することでした。「力づけ、励まし」つつ、神と人とに仕える者を育てることでした。

 

「もうよい」、「あなたは満ち足りている」、今その感謝を、兄弟姉妹のために、若い人のために注ぎ出しなさい、ということです。

 

ルカ福音書22:31――

 

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。」

 

主イエス・キリストは、ご自分が十字架につけられこの世を去るに先立って、弟子たちの中の筆頭であるペトロを力づけようとされました。主イエスは、彼が霊的な指導者となるよう心を砕かれたのです。

 

その際、主イエスはサタンを用いられました。そうして、ペトロは「小麦のようにふるいにかけ」られました。ここで、思い起こされるのは、パウロの書いたローマの信徒への手紙に出てくる「練達」という言葉です。

 

ローマの信徒への手紙5:3-4――

 

3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

 

「練達」というのは元来、坩堝(るつぼ)の中で熱せられて練り清められるということです。これは、信仰の純度……ただひたすら神によりすがること……が高められるという点で、「ふるいにかけられる」ことと似ています。なぜなら、「ふるいにかけられる」というのは、混じり合った状態から本物と偽物とが選り分けられることだからです。

 

人間の側から言えば、異物が取り除かれ、信仰が真実のものになっていくとき、まさに苦難や試練にしばしば襲われます。それらは、神が私たちに与えられたものです。

 

そこで問われているのは、苦難や試練の時、練り清められ、ふるいにかけられる時、すなわち、どんな時にも、私たちが神によりすがるかどうか、ということです。つまずき、(あや)うくなりかけても、信仰を守り抜くことができるかどうか、です。

 

ルカ福音書22:32――

 

「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

 

主イエスは祈りの人です(ルカ3:219:2822:41他)。主イエスは、この直後、ペトロが三度も主を知らないと言うこと(ルカ22:54-62)をご存知でありました。そのような罪人、裏切り者のために、主イエスは祈り続けておられました。

 

モーセは外国人を(あや)めました。その後、彼はけんかしている同胞の間に立とうとしましたが、拒絶されました。

 

しかし、モーセは主にあって立ち直りました。主から約束の地に渡って行けないことが告げられても(申命記3:27)、モーセはくじけることなく、神の前に立ちました。

 

モーセは立ち直ったがゆえに、人間の弱さを知ると同時に、そこに注がれる神の憐れみを知る者となりました。だからこそ、モーセはヨシュアを力づけ、励ますこと、人を「育てる」こと(エフェソ6:4)ができたのです。

 

ペトロは今しばらくの間、主への拒否と逃亡をもって、闇路をさ迷います。やがて、復活の主、イエス・キリストとの出会いによって、立ち直らされます。

 

イエス・キリストの祈りととりなしによって、主なる神とペトロと人格的な交わりが回復されました。そこで、いったい、ペトロは何をなすべきなのでしょうか?

 

「兄弟たちを力づけてやりなさい」。自分自身を愛するように、隣人を愛する、ということです。「立ち直った」と同時に、その人は隣人のために生き始めるのです。祈りの人、復活の主、イエス・キリストによって立ち直らされた恵みに応え、喜びと感謝に生きることができますよう祈りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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