礼拝、説教    次週の礼拝是非お出掛け下さい。

 

                                                   礼   拝

 

礼拝は、神と人との交わりの場、出会いの時です。み言と聖餐を通してキリストを受け、祈り、讃美、信仰告白、献金などを通して、みずからを神に献げます。私達の信仰と生活の原点がここにあります。

 

次週の礼拝 
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    2018・11・18(午前10時15分~11時30分)

 (*支障のない方はお立ち下さい)
招き                前奏
                * 招詞     詩編119編9節~10節

                * 頌栄           542

                * 主の祈り  

悔改め         * 讃美歌    こどもさんびか9          

      * 交読文      こどもさんびか178頁

神の言           旧約聖書  詩編39編7節~10節

            新約聖書      ルカによる福音書7章1節~9節

                     祈祷
                 * 讃美歌       Ⅱ-26            

説教              「いつも大きな心で」

                         小河信一牧師    

                     祈祷           
                 * 讃美歌    こどもさんびか73

    

                 * 使徒信条

感謝・献身        献金
                     報告
                 * 讃詠        546
祝福・派遣        祝祷
                     後奏

 

 

礼拝説教

 

「わたしの時はまだ来ていない」
ヨハネによる福音書7章1節~9節
ゼカリヤ書14章16節~19節
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「恵みと義の賜物とを豊かに受ける」
ローマの信徒への手紙5章12節~17節
創世記3章6節
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「あなたはメシア、生ける神の子です」
マタイによる福音書16章13節~16節
エレミヤ書10章10節
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「あなたの子どもたちと孫たちに知らせなさい」
申命記4章1節~14節
エフェソの信徒への手紙6章4節
20181021.MP3
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説  教 (月報より)

 

10月説教

聖霊によって神の愛が注がれて』

         ローマの信徒への手紙 5章3節~5節

                小河信一 牧師

 

 

 

コリントの信徒への手紙 13:13――

 

それゆえ、①信仰と、②希望と、③愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

 

パウロはコリントの教会に宛てた手紙の中に、上の言葉を表しました。そして、その数年後に、パウロはローマの信徒への手紙を書きました。ということは、ローマの信徒への手紙の内容を構想する中で、先に書いたコリントの信徒への手紙を思い起こすことがあったとしても不思議ではありません。

 

そのことの例証として、コリントの信徒への手紙 13:13の①信仰→②希望→③愛という順序や内容が、ローマの信徒への手紙5:1-5に反映されていることを説き明かします。そこで、ローマの信徒への手紙5:1-5における、①信仰→②希望→③愛の流れをたどってみましょう。

 

ローマの信徒への手紙5:1-2前半

 

1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられたのです。

 

最初に、パウロは簡潔に「私たちの信仰」とは何か、教えています。「信仰」とは、私たちが正義や善行を果たしていないにもかかわらず、無償で神から「義とされた」ということです。どういう形で、「義とされた」のかと言えば、御子、イエス・キリストが十字架につけられ、私たちの罪を潔め、三日後によみがえられた、という神の大いなる救いの御業によって、そうされたのです。

 

このようにパウロは、信仰をもってこの新しい段落に入りました。

 

ローマの信徒への手紙5:2後半――

 

(わたしたちは)このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。

 

信仰の次に、希望が出て来ました。パウロは、「あなたは義とされた。今信じなさい」ということを告げた後、将来に向けての生き方を提示しました。キリストに寄りすがる者には、まことの希望がある、と言います。

 

希望を掲げて前進して行く、その希望の内容が、「神の栄光にあずかる」ということです。将来において、神の栄光が輝きわたるならば、あるいは、私たちがすべてを神の栄光に帰すならば、私たちの顔も心も照りわたることでしょう。

 

ローマの信徒への手紙5:5――

 

希望はわたしたちを(あざむ)くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神のがわたしたちの心に注がれているからです。

 

一番目、信仰、二番目、希望、そして三番目、結びに、愛が()げられました。

 

信仰を土台とし、希望をもって前進する中で、大切なのは、私たちの心に注がれている神の愛に、私たちが生かされる者となるということです。

 

「神の愛」、すなわち、「神が私たちを愛してくださっている」、その愛を私たちが精一杯受け、その愛に感謝・応答する者となるのです。

 

このように、コリントの信徒への手紙 13:13の①信仰、②希望、③愛というトリオ(三つ組)が、ローマの信徒への手紙5:1-5の中で、①信仰5:1,2、②希望5:2,4,5③愛5:5というように再現されています。ローマの信徒への手紙の1章-4章を経て5章を読み始めると、霧が晴れたように、目の前が今から将来に向かって開かれるという一つの理由は、この箇所のメッセージが、信仰・希望・愛に()っているから、ということです。

 

それでは、ローマの信徒への手紙5:3-5を読みましょう。ここには、苦難→忍耐→練達→希望が(くさり)につなげられたかのように出て来ます。ここで大事なのは、次々と或るものが生み出されるということ以上に、神が最初から最後まで導かれるということです。というのも、私たちの人生の中で、終わりや出口が見えなくなることがしばしばあるからです。とりわけ、苦難に陥り、忍耐しなければならない時には、暗闇が延々と続くように思われます。

 

私たちの側から言えば、それぞれの局面において、神の備えられる事柄に集中することです。今は、忍耐をつちかうことに専心するというように……。それによって、初めから終わりに至る道が切り拓かれます。

 

ローマの信徒への手紙5:3――

 

そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を(を生むということを。

 

「そればかりでなく」という接続の句は、「この地にしっかり足をつける、その観点から付け加えると」、と言い換えられます。「すなわち、義とされた者は、罪から解放されているが、しかし、最後まで罪の現実によって規定されているこの世に留まる」(U.ヴィルケンス)ことを、謙虚に想い続けることです。確かに、現実は苦難に満ちています。私たちはその現実を飛び越すことはできません。

 

今平和を得ており、将来に対しまことの希望を抱こうとも、「そればかりでなく」、苦難に遭わざるえないのだよ、ということです。「苦難」の原意は「圧迫」ですが、実際、この世の中には私たちを抑圧し圧倒するのものがあふれています。

 

しかし、苦難に遭って、神を(うら)んではなりません。パウロは「苦難をも誇りとします」と言いました。彼は、この世のただ中で遭う苦難(Ⅱコリント11:26)を、ただマイナスのものと捉えてはいません。私たちが患難や出来事や心配事などに襲われ圧迫されるとき、神ご自身が忍耐なさっているのです(Ⅱペトロ3:9,15)。神は私たちを苦難に遭わせることを通して、今ひと度、私たちに神を見上げさせ、神に寄りすがらせると同時に、世の光として生きてゆくように導いておられるのです。そのような道筋を示しておられるのです。

 

確かに、耐え難い苦難、長期間続く苦難というものがあります。しかし、主イエス・キリストは苦しみの中にある人々のためにこの世に来てくださいました。先の見えない闇の中にいる人のそばに来てくださいました。そのお方に(くびき)でつながれて、私たち自身も小さな十字架を(にな)っていくことこそが、「苦難をも誇りとします」ということの真意です。

 

苦難に遭った時、「いつまで続くのか」あるいは「どうしてこの私に」という疑問に捕らわれてしまいますが、大切なことは、どのように、この苦難に向き合い乗り越えるか、ということではないでしょうか。神は、私たちを苦難の内に歩ませることを通して、何かに気づかせようとしておられるのではないでしょうか。

 

パウロは、長期間続く苦難を経験していた人ですが、次のように語っています。

 

ローマの信徒への手紙5:3後半――

 

わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を(生むということを)。

 

ここで「忍耐」というのは、「重荷の下にとどまる」との意味です。つまり、そこから逃げ出さないで、踏みとどまる、ということです。

 

直前の節、ローマの信徒への手紙5:2には、「(わたしたちは)このキリストのお陰で、今私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられたのです」という句が出て来ました。重荷があろうとも、信仰という堅固な基盤の上に、しっかりと立つ、それが、私たちの「忍耐」だと言うのです。「キリストのお陰で」、私たちが共に支え合っている、それが「忍耐」なのです。

 

私たちは時に、苦難を直視できずに、自分の「足場」を移そうとすることがあります。環境を変えようとすることがあります。この世的には、それも一つの手立てと言えましょうが、キリストとの関係において、「今私たちの立っているこの恵み」という立場を変えてはなりません。カルヴァンもまた、「しっかりと足で踏みこたえている人たちは、常にキリストに固着するのである」と述べています。

 

ローマの信徒への手紙5:4――

 

忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

 

「試験ずみの」または「(るつぼで)精錬(せいれん)された」という原意を持つ「練達」は、少し理解しにくい言葉でしょうか。もし、「練達」した人から、不器用でない、洗練された人というイメージを抱くとすれば、パウロの言う真意からは()れてしまいます。

 

先に、私たちが忍耐する際、「今私たちの立っているこの恵み」という姿勢が崩されることがあってはならない、と申しました。そうだとすれば、「忍耐」の中で、錬成されるのは、神の恵みを手放さないこと、いつも神に寄りすがっていることです。根本的に、何かがあったら、さっと神の方に心が向くこと、その一点において優れていること、それが「練達」です。

 

神に心を向けることについては、祈る、礼拝する、聖書を読む、等々の形があるでしょう。病める時、弱い時、喜んでいる時、いつでも神に依り頼んでいますか、ということが私たちに問われているのです。

 

さてここで、本日の旧約の言葉を通して、忍耐→練達→希望という展開を見てみましょう。

 

詩編119:116――

 

あなたの仰せによりすがらせ

 

命を得させてください。

 

わたしの望みを裏切らないでください。

 

「よりすがらせ(てください)」というのは、「(壁に手をつけて)寄りかかる」というのが原意です。全体重を、自分の身も魂も、神の言葉に寄りかからせるということです。ここから、「忍耐」と「練達」について、信仰的な示唆が得られます。

 

詩編119編の詩人は全編(全176)を通して、神の言葉を聴く・学ぶ・行うということを執拗(しつよう)と言ってよいほどに追い求めています。それは、私たちの信仰生活の中で、御言葉に寄りすがることにおいて、「忍耐」強くあるべきだ、ということの表れです。すばやく御言葉を聞いた上で、それを行っていく際に、忍耐が必要になることもあるでしょう。

 

同時に、「練達」とは、いつでも神に依り頼むことでしたから、この詩人は御言葉へのよりすがり・傾注という面で、熟達していることになります。パウロは、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)と語っています。幼い頃から律法に依り頼む訓練を受けていたパウロは今や、「キリストの言葉を聞くこと」において練達したと言えるでしょう。

 

詩人は119:116後半で、「わたしの望みを裏切らないでください」と、神に訴えています。御言葉に対する「忍耐」と「練達」を土台として、「わたしの望み」を表明しています。そして、詩人の大きな関心が、裏切られるか否か、にあることが見て取られます。片や、パウロはこう述べています。

 

ローマの信徒への手紙5:5――

 

希望はわたしたちを(あざむ)くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

 

(あざむ)くことがありません」は「裏切られません」とほぼ同意ですから、詩編詩人の「裏切られるか否か」という心配・不安定さは取り去られたことになります。これが、キリストにあって生まれ変わった人、パウロの信仰による宣言です――「希望はわたしたちを(あざむ)くことがありません」。

 

詩編119:116後半「わたしの望みを裏切らないでください」は、ひたすらなる祈りと言えるでしょう。同類の祈りが、詩編25:2,20に、また、「失望させられない」という告知がイザヤ書49:23、ローマの信徒への手紙9:3310:11に見られます。

 

どうして、希望において「裏切られるか否か」または「失望させられるか否か」が問題となるのでしょうか?

 

それは私たちの実生活を顧みれば分かるように、希望はしばしば実現せず、失望させられるからです。特に、「わたしの望み」が周知の事実となっている場合、それが達成されないとなると、嘲笑され恥をこうむることにもなりかねません。それが、世間というものです。

 

そういう中でパウロは、主イエス・キリストに在る希望、「神の栄光にあずかる希望」(ローマ5:1)は失望に終わらない、恥はかかせられない、と宣言しています。それは、私たちの実生活を含む天と地の世界において確かなことなのですが、私たちの疑い深い心が「本当にそうなのだろうか」と不安を呼び起こします。

 

パウロは、その私たちの疑い(まど)いを見抜いているかのように、「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」と締めくくっています。

 

聖霊が私たちに与えられている、神の愛が私たちの心に注がれている、と神の先行する恵みが告げられています。神は、希望ではなく失望によって、私たちの心が支配されやすいことをご存知です。

 

コロサイの信徒への手紙3:14―― 

 

これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。

 

どのように、愛によってすべて完成されるのでしょうか?

 

上のローマの信徒への手紙5:5の締めくくりには、信仰→希望→愛という展開の下に、そのことが説き明かされていました。

 

パウロはまず、聖霊の神が生きて働きたもう、と語ります。父なる神と御子キリストは聖霊を派遣して、私たちに伝えるべきことを、私たちに教え思い起こさせます。これが、聖霊の神のとりなしです(ローマ8:27)。私たちの側から言えば、ただ聖霊を受け取ること、聖霊の働きに感謝することです。

 

そしてパウロは次に、その「聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている」と言います。

 

私たち、多くの者が人生の上で、愛に飢え渇いています。愛の不毛という言葉すらあります。神はそのことをご存知です。そこで、神は聖霊の力によって愛を「注ぎ出してくださった」のです。天からの雨の恵みのように、無償で、渇ききっている私たちに与えてくださいました。

 

あるいは、こうも言えるでしょうか。神は自分を、苦難に、いや苦難の連続に遭わせられました。忍耐深くなったのか、練達したのかも、自分には分かりません。私の人生は、どうして砂漠のように味気ないのかと、くじけそうになります。しかしまさに「その時、私たちに対する神の愛は、私たちの中に(せき)を切ったようにドッと注ぎ出された」(P.アルトハウス)のです。突然にです。

 

そこから、私たちは神の愛の基づく生活、神を愛し自分自身のように隣人を愛する道を歩み出すのです。パウロによって、コリントの人々、ローマの人々、そして私たちに伝えられた、神からの贈り物、信仰・希望・愛が巡りゆくように、お祈りしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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